ブックカフェという場でドラッカーとカラーを伝え、輝く人を増やしたい。(株)カラーディア代表 吉田麻子さん@函館


ブックカフェという場でドラッカーとカラーを伝え、輝く人を増やしたい

(株)カラーディア代表

吉田麻子さん

1970年函館市生まれ

(株)リクルートなどを経て

札幌でカラースクールを経営。

母の介護をきっかけに函館に戻り、

2017年函館にブックカフェをオープン

 

 

OLからスクール経営、そして出版へ

 

—これまでの経歴をおしえてください

 

函館出身。父は学校の先生、母は小説の作家でした。

そんな環境もあり、私は本を読むことは大好きでした。

小学生にあがる前には近くの図書館にある本を全部読んでしまったくらい。

それは今でもつづいています。活字、いや“小説中毒”ですね(笑)。

札幌の短大を卒業後、入った会社数社で倒産や解雇などを経験。

1995年、24歳の時にリクルート社に転職しました。

それから10年間、人材部門や地域活性化部門などに在籍していました。

ある時、JR北海道のグループ会社がカラースクールを立ち上げるという話しがありました。

主任講師を探していました。

その時、リクルート社にいた私に打診があり、思いきって転職しました。2003年のことです。

3年後に、そのスクールが事業譲渡するということになり、私が自分で起業して「Jカラースクール」という名前で教室を運営していました。

 

—転機はどんなきっかけで?

 

29歳のころ、リクルート社にいる当時、次のステージを考えなければいけないと思っていた時期がありました。

いきいきとした人生を送りたいなあと。

どうしたらできるのか。先輩などを観察していました。

すてきな人たちは、なにか大好きなものを持っているということに気がつきました。

自分にとってはなんだろうと。

そんなある日、『ケイコとマナブ』という情報誌をぺらぺらとめくっていました。

その中に「色彩検定」という文字に目が留まりました。

なにか感じるものがあったんですね。

翌日には80万円近い講座料を振り込み、申し込んでいました(笑)。

以来、色の理論を体系的に学び、4つの分野のカラー検定で1級を取得。

今の私のベースになっています。

その後、『7色のすごいチカラ!』(エイチエス社)という本を出版し、札幌拠点のスクール運営から全国を講演や講座開催で飛び回るようになりました。

北海道から沖縄まで30カ所近くになりました。

 

 

—その後も転機に?

 

昨年、2017年の6月に母を亡くしました。

その5年前には父が亡くなりました。

母が独り暮らしになることをきっかけに、拠点を札幌から函館に移したのです。

時間の使い方が変わりました。

ずっとやってみたかったことの一つ、小説を書ける時間が確保できました。

『人生を変えるドラッカー』(ダイヤモンド社)が誕生することにつながったのです。

この本は2016年に出版したのですが、執筆はその3年前です。

半年かけて最初の原稿を書きあげました。

それを佐藤等さんに見てもらい、その原稿が上田先生(ドラッカーの翻訳者)などの手に渡り、ダイヤモンド社に届いて書籍化が決まりました。

 

『経営者の条件』オタク

 

—ドラッカーとの出会いは?

 

ドラッカーにふれたのは2006年ごろです。

リクルート社時代、上司が勉強会につれていってくれました。

その会に佐藤等さんらがいました。

本は『経営者の条件』から読みはじめました。というか現在も、ほぼこの本ばっかりを読んでいますね。

少なくとも100回は読んでいると思います。

私は“『経営者の条件』オタク”みたいなものです(笑)。

この本のすべてを自分のものにしたいという願望があります。

なにかにつけて、「セルフマネジメントができなくては」という思いがあったからでしょうか。当時、月に1度は札幌=函館間の特急に乗って往復していました。

特急に乗っている時間イコール『経営者の条件』にしていました。

移動時間の3時間半は、ドラッカーの読書タイムでした。

 

 

—どの部分が好きですか?

 

ドラッカー本は私にとって修得のために本に向う、いわば“教科書”です。

『経営者の条件』の中では、まえがきの部分が好きです。

自らをマネジメントすることは常に可能である」ということばが好き。

「強み」に関する部分は「カラー」の分野と相通じることが多いので、よく似ているなあと思います。

数年かかっていろいろ実践してきて、ドラッカーの言葉の意味がわかるようになりました。

廃棄とか。集中とか。

こうしたことすべてが自分の成果につながっていると思っています。

3冊の本の出版もそうですし、全国行脚の講演ツアーもそうです。

 

 

—そして現在は?

 

2017年の12月に「ブックカフェ irodori(イロドリ)」をオープンしました。

今はカフェオーナーです。

店舗は昭和9年に建てられた旧洋服店。

知人から「ブックカフェでもやってみたら?」と言われたことがきっかけです。

母が亡くなった喪失感を埋めるタイミングでもありました。

母は地元ではちょっと知られた作家でした。

その娘としては、母が遺した本もいっぱいあるなと。

母のファンの人たちにも、その気配を感じてもらえる場所になればいいなあと思っていました。

一方で、私は「ドラッカーやカラーの伝達をすることで輝く人を増やしたい」というのが使命。

講演や教室、執筆という手段の他にカフェという手段もあるよな、と。

そんな想いで未経験の領域にチャレンジすることにしたのです。

 

—お店はどんな感じですか?

 

飲み物と軽食がメインです。

本は500冊くらい壁一面にあります。

ビジネス書も小説もあります。ドラッカーの赤本シリーズは一応、全部揃えています。2セットあります。

夜はドラッカーの読書会やカラーに関する講座もやっています。

常連さんたちにも自分の強みを活かして講座をやってもらったり。

サロンのようなカルチャースクールのような場所になっています。

 

 

—今後の抱負は?

 

今後はここ「イロドリ」がコミュニティスペースのように、部活の部室のようになればうれしいですね。

ドラッカーとカラーに関して、何らかの機能が発揮できればいいと思っています。

その中で、私は小説を書いていきたい。

まったくの自分オリジナルな世界の小説。

なんの役割りもないけれど、ただ読んでおもしろい。人の心の中に残る。

そんな作家になりたいという夢があります。

亡き母がかつて受賞した、各種文学賞にも応募してみたいと思っています。

 

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花岡 俊吾
1965(昭和40)年、北海道恵庭市生まれ。高崎経済大学卒業、(株)ピーアールセンターにて広告・マーケティング業務に従事。2007年独立、「北海道体験.com」のプロジェクトに参画。人口減少の道内経済に貢献すべく、北海道の新しい体験観光情報の発信をライフワークにする。カメラを片手に、年間100日以上をアウトドアフィールドで取材活動。新聞記事連載やWEBコンテンツ制作がメインの仕事。P.F.ドラッカーの読書会、札幌ビジネス塾に10年以上通い、上田惇生先生のサイン入り『経営者の条件』は家宝。著書に『アウトドア&感動体験ガイド北海道』(北海道新聞社)。休日はマラソンと登山に勤しむ。

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