どんな人でもドラッカーのことばにふれて、ちょっと挑戦して少し成長する。学びが活きる場を東北各地につくりたい〜青森の瀬川智美子さん


瀬川智美子さん

時々フリーのバスガイド
瀬川智美子(せがわ・とみこ)さん

1969(昭和44)年、十和田市生まれ。
十和田観光電鉄(株)入社後、バスガイドに従事。
夫の転勤で全国を移動し、2007年札幌、2011年青森に移り住む。
2014年、ドラッカーを知り函館の読書会に参加。
以来、ファシリテーターの資格を取得し、
東北で読書会を開催する。

転勤がきっかけで、学びに平常心を保つ

―現在の仕事・活動をおしえてください
瀬川 4月から11月くらいが東北の観光シーズンになります。その間はバスガイドの仕事をしています。フリーランスなので、いろいろなバスに乗務して旅行の案内をします。主に青森県や秋田県のバス会社からマネジメント会社を通して依頼が来て、東北各地に足を運んでくださるお客さまの旅を盛り立てるのが仕事です。

バスガイド業はここ5年くらい再びやっている仕事。自分的にはメインの仕事は「マネジメント読書会」のファシリテーターですかね。現在は、読書会を青森と仙台と秋田の3カ所で開催しています。これを東北の6県全部に立ち上げたい。わたしの夢のひとつです。

地方にこそ、ドラッカーのような上質な学びの場が必要だと、勝手に思っているところなんです。この読書会の準備や、オンライン講座や実ドラ講座のナビゲーターもやっているので、常に、毎日ドラッカーにふれているという状態です。

―これまでの略歴をおしえてください
瀬川 青森県の十和田市生まれ。八戸の高校を卒業後、十和田観光電鉄株式会社に入社、12年間バスガイドをしていました。その途中、職場で知り合った主人と結婚。仙台・名古屋・札幌と転勤でついていきました。

実はわたし「バスガイドは2度とやらない!」と思って辞めたのです。バスガイドとして最高の仕事ができたと思えるできごとがあって、「十分やりつくした。これ以上やったら飽きちゃいそう。飽きたら楽しくできないな。わたしがお客さまなら、仕事に飽き飽きしているガイドの案内なんて聞きたくない」という気持ちがあり、すっぱり辞めました。その後はバスガイドの依頼をいただいても「私はマイクを置いた山口百恵です」と言ってお断りしていました(笑)

毎日違う時間に起床して、毎日違う場所に出かける。そんな日々に少し疲れていたのこともあって、次はオフィスレディーをやりたいなと。パソコンの学校でワードやエクセルを習いました。その甲斐あって、アルバイトで事務の仕事に就くことができました。ところが、主人の転勤は「来週、あそこに赴任してくれ」というもの。わたしの仕事は継続してできなかった。仙台から名古屋に引っ越した時には、食も文化もなにもかも違っていました。もう頭がおかしくなりそうになったのです。

―で、どうしたのですか?
瀬川 何かに打ち込もうと、日本メンタルヘルス協会の心理学ゼミを学ぶことにしました。心理学の分野なので、お互い自己開示をするんです。その時「わたしの人生は主人の転勤でめちゃくちゃにされた」と。当時はそう思っていました。友人関係も仕事も決まりかけていたところに、転勤でさようならと。慣れない環境で働く夫を思いやることもできずに当たり散らす自分が嫌いでした。悲劇のヒロインきどりでした。でも「そうじゃないんだ」と気づかせてくれたのが名古屋での習い事とそこで出会った仲間たちだったんです。30歳くらいの時です。

―そしてまた転勤?
瀬川 名古屋から次は札幌に転勤になりました。引っ越しをしたら、何か新しい仕事と習い事をすればいいと考えるようになりました。気持ちが落ち込まないための方法論を見つけた思いでした。なので札幌ではすぐに派遣会社に登録して仕事を探す準備をしました。習い事は何をしようかなと。雑誌をパラパラと見ていました。ページの中でワンコインのカラーレッスンに目が留まりました。先生である吉田麻子さんの笑顔写真にひかれ、申し込むことにしたのです。当時、吉田さんは札幌でカラースクールを開いていたとき。2007年か2008年くらいのことだったと記憶しています。

―ドラッカーを知ったのは?
瀬川 2011年に今度は青森に転勤になりました。しばらくして3年後、吉田さんが札幌から函館に拠点を移していることを知りました。青森と函館。お互い近いところにいるねと。函館で講座をやるということで、参加することにしたのです。

その場に川島眞一さんがいたのです。川島さんを中心に、みなさん「ドラッカーの読書会が楽しい」と口々に言うのです。なんだか興味を持ちました。翌日、函館の書店に足が向きました。1冊だけドラッカーの本があったのです。『経営者の条件』というタイトルを見て、わたし経営者ではないから違うかなと。でも、まえがきの3行が心にささったんです。本の内容はぜんぜん理解できませんでした。なので函館の読書会に通うことにしたのです。津軽海峡線の特急に乗り、片道2時間かけて函館を往復していました。

 

読書会を通じて人の成長に喜びを感じる

―その後、青森に読書会をつくる?
瀬川 わたしは自分が引っ越しとかした際に、平常心を保ったり楽しく生きるためには大人になってちゃんと勉強をしつづけること。自分のやるべき仕事を持っていることが大事だと思うようになりました。青森に引っ越した時、「ここ青森にはそのような学びの場がない」ことに気がつきました。2011年の大震災があったことも関係していたと思います。

なにかいいテーマがないかなと考えた時、「カラーとドラッカー」が目の前にあったのです。学びは人生にうるおいを与える。なので「つくりたい!」と。わたしが教えることはできないので、函館から吉田さんや川島さんを青森に連れてきてそういう場をつくろうと思いました。なので、「ドラッカーを広めたい」というよりは、たまたま対象としてドラッカーがあったという感じです。

―読書会はどんな雰囲気ですか?
瀬川 読書会では、例えば、60代の経営者が20代の若者の感想を聞いて「すごい気づきをもらった」とかになるんです。いろんな参加者がいるので、思いもよらなかった視点から気づかされることがあります。お互いを認め合い、いろんな価値観が融合する場になります。ドラッカーを学ぶ人は、上下関係などなく、だれからの発言からも学ぶ。こういう場がとても楽しい。

心理学もカラーもドラッカーも、共通しているのは楽しいということ。楽しくなければ続けられません。それぞれ自分の仕事を持つ社会人が集まって、共通するテーマを学び笑いあうことで、古い価値観が改まる。学びによって自分の固定観念を壊してもらえる。自分の日常に戻ったときに、人にやさしく接することができるようになれると思っています。

―読書会参加者はどんな人?
瀬川 会場によってばらばらですね。青森は主婦やサルサダンスの先生、仙台は税理士さんや銀行の支店長さんとかビジネスマンが多い印象、秋田は自営業者さんや営業マンなど。読書会の参加者さんは多種多様です。今、コロナによってオンラインでも参加できるようになり、地方の勉強会に全国から参加できるようになりました。異文化交流ができて楽しくないわけがない。うれしい思いでいっぱいの読書会になっています。

青森には目が見えない人も参加しています。定年した人、主婦などもドラッカーを使っています。アルバイト先、パート先で、読書会で気づいたことを使ってみている。「同僚の強みを活かして働いてみた」とか。そうすると「うちの職場がこうなってきました〜」と報告してくれるんです。はじめは敷居が高いと言って読書会を遠くから見ていた人も、だんだんと打ち解けて中に入ってきます。

 

 

―運営にはどんなことを心がけていますか?
瀬川 ファシリテーターとして、わたし自身が実践者でありたいと考えています。バスガイドをする時は、運転手さんと添乗員さんと私でチームを組んで働きます。誰かと働くということは、もうそこにマネジメントが必要だということ。マネジメントを上手に使える人になるためにドラッカーはすごく役立っている。フリーランスだからといってドラッカーは役に立たないのではないのです。ドラッカーのことばをバスガイドの現場でこう使いました。こういう風に使っている仲間がいます。こんな風に使って、こんな成果をあげた先輩がいます。などなど。参加者が職場や家にもどった時「明日からの実践につながる読書会」を目指しています。単なるお勉強に終わらないことを心がけていますね。
 
―全盲の人も参加者?
瀬川 角田まき子さんという女性。青森の読書会でファシリテーターを私と一緒にやってくれています。県主催の「障害のある方にiPadを教える人財育成講座」で出会い、わたしが「青森でいろんな人が笑顔で学びあえる場をつくりたい」という思いに賛同してくれました。「智美子さんの熱い想いに協力したいわ」と。「わたしが悪い人で、まき子さんをだましてツボを売りつける可能性もあるんだから、そんなに人をかんたんに信じないほうがいいよ」と、冗談まじりに話していました。まき子さんは「わたしは智美子さんが売ってくれるツボだったら10万円までだったら買うわ」と。ちょうどその時、カラー講座のレッスン代が5万円。ドラッカーの講座も5万円だったんです。2つ合わせて10万円だよって(笑)。「じゃあ、わたしが買えるツボね」と。そんなこんなで、まき子さんはカラーもドラッカーも学んだのです。そのうち、まき子さんはファシリテーターになって読書会を運営する側となり、青森でサポートをしてくれています。

―それはすごいですね
瀬川 まき子さんは目が見えないので、ドラッカーは耳で聞いて勉強しなくてはならないのです。ファシリテーターの勉強をするために、60歳をすぎてからなんと点字の勉強を始めたのです。彼女は聞いて学ぶタイプではなく、「読んで学ぶタイプ」だとドラッカーを学ぶようになってから気づいたと言っていました。そこで点字の読み書きを努力して身につけて、ドラッカーを学んでいます。こういう人を目の当たりにして、人間いくつになっても成長ができるんだなと。

まき子さんは、いくつになっても挑戦して、さらに一歩でも前に進む姿勢を私たちに見せてくれます。そういうまき子さんを見て周りも触発される。青森の読書会はそういう雰囲気です。主婦の人でもそうなんですが、ドラッカーのことばを学んで、ちょっと挑戦する。するとちょっとだけ成長する。そこで、またちょっと挑戦してちょっと成長する。人間、何歳になっても成長していく姿を見るのはすごくうれしい。成長した先の新しい自分に会える本人もうれしい。読書会は楽しく学び互いの成長をよろこび合う方々が主役です。仲間が増えることを歓迎しています。

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花岡 俊吾
取材記者/エディター   1965(昭和40)年、北海道恵庭市生まれ。高崎経済大学卒業、(株)ピーアールセンターにて広告・マーケティング業務に従事。2007年独立、人口減少の道内経済に貢献すべく、地域の新しい情報の発信をライフワークにする。一眼レフを片手に、年間100日以上をアウトドアフィールドや道の駅・キャンプ場を取材。新聞記事連載やWEBコンテンツ制作がメインの仕事。P.F.ドラッカーの読書会、札幌ビジネス塾に10年以上通い、上田惇生先生のサイン入り『経営者の条件』は家宝。著書に『アウトドア&感動体験ガイド北海道』『北海道キャンプ場&コテージガイド』『北海道道の駅ガイド』(共に北海道新聞社)。休日はマラソンと登山に勤しむ。

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