原点回帰に活路あり!売上減を覚悟で貫いた信念が呼び起こした2期連続の増収【ドラッカーの実践】


原点回帰に活路あり!売上減を覚悟で貫いた信念が呼び起こした2期連続の増収【ドラッカーの実践】
この記事のまとめ
  • 謎の減収に悩まされていたとき、経営を学び直す決意をした
  • 立命館大学のMBAに入学すると、ドラッカー翻訳者の上田 敦生と出会う
  • 「われわれの事業は何か」という問いがヒントになり、売上減を覚悟で新しい商品づくりに着手
  • 結果的に売上がアップして減収スパイラルから脱出した

『われわれの事業は何か』という問いは常に難しく、徹底的な思考と検討なくして答えることはできない。しかも通常、正しい答えはわかりきったものではない

『現代の経営<上>』P. 63

この問いに向き合うと多くの経営者が業績を答えるには、少なくとも次の2点を明確にする必要がある。

「われわれの顧客は誰か」
「顧客にとっての価値は何か」

検討すべき顧客層は複数ある。目の前の顧客だけでない。顧客を見直して初めて、「顧客にとっての自社の存在意義」が見えてくる。

自社の強みを生かすのは重要だが、顧客を見失うと失敗する。

今回ご紹介する企業「真田」は、京都を拠点に展開する乾物メーカー。顧客を「良き生産者を評価できる消費者」に絞り込むことで経営のピンチから脱した。

突如襲った謎の減収。そこでひらめいたアイデアとは

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2期連続の減収。

それまで25年、伸びてきたのに――食品メーカー真田(京都府宇治市)の真田千奈美専務は危機感を募らせていた。

真田は「山城屋」ブランドで乾物の製造、販売を手掛ける。1904年、山城屋の商号で煮干し問屋として創業。戦後はスーパー向けに幅広く食品卸を手掛けた。

メーカーに業態転換したのは1981年。当時取締役だった真田 佳武(さなだ よしたけ)社長が主導した。

「大手スーパーの購買力が強まる中で、売上高30億円ほどだった、うちのような中小卸は生き残れない」とにらんだのだ。

メーカーとしては売上高5億円ほどからの再スタートだった。しかし、強みのあった乾物分野の知識を生かし、当時まだ珍しかった「金ごま」を「京いりごま」の名前で商品化・大ヒットさせるなどして、高付加価値路線で軌道に乗った。

こうして2005年12月期には、売上高36億円に成長した。だが、2006年12月期、2007年12月期と2期連続で、それぞれ約2億円ずつ売り上げが減少した。

「当時は全く理由がわからなかった」

と語るのは、真田社長の妻・千奈美専務。だが、打開策としてひらめくものがあった。

――本社を移転してはどうか。

当時の真田には3大ヒット商品があった。「京いりごま」に加え、「京きな粉」、そして副菜の材料になる乾物と調味料をセットにした「京のおばんざい」シリーズ。いずれも商品名に「京」を冠している。

しかし、本社工場は大阪府守口市にあった。

「本社移転で、名実ともに京都ブランドになろう」

この妻の提案に真田社長が乗り、早速、京都府内に土地を手当てした。

ドラッカーの訳者・上田 敦生との出会い。「自らの事業は何か」を問う大切さを学んだ

ドラッカーの訳者・上田 敦生との出会い。「自らの事業は何か」を問う大切さを学んだ

だが、拠点を移すだけで簡単にブランドをつくれるわけがない。そう悩んでいたとき、千奈美専務はたまたま電車で立命館大学のMBA(経営学修士)コースの生徒募集の広告を目にする。

「経営を一から学び直してみよう」

そう考えて2008年春、立命館大学のMBAに入学した。

そこでドラッカーと親交が深かった上田 敦生(うえだ あつお)氏の授業を受けた。

ブランド力の源泉を探していた千奈美専務にヒントを与えたのは、こんなドラッカーの問いだった――「自らの事業は何か」。

乾物メーカーという答えでは浅い。乾物製造の本質とは何か、中でも真田を特徴付けるものとは……。

深く突き詰めると、自社が手掛けるのは「良き生産者なしに成り立たない事業」だという結論に至った。

江戸時代は米問屋を営んだ真田家。その後、取り扱う商品こそ変化したが、「生産者を大事にする」方針を貫いてきた。

メーカーへの転身が消費者に支持されたのも、良い原材料を確保できたからだ。

そう考えると、2期連続減収の原因も見えてきた。

乾物市場全体は、日本人の食生活の変化に伴い、縮小傾向にあった。そんな中で、増収のプレッシャーを感じた現場が無理をしていたのだ。

例えば、個別のスーパーに合わせた専用商品が増えていた。1社がまとめ買いするので、1件の成約で大きな売り上げが取れる半面、価格への要求はシビア。そのため品質が軽視されやすい。

さらに、契約が打ち切られたときの反動が大きい。このような「売り上げ至上主義の綻び」が、減収につながっていた。

原点回帰に活路あり!売上減を覚悟してまで貫いた信念とは

原点回帰に活路あり!売上減を覚悟してまで貫いた信念とは

「今こそ原点回帰。そして我々の原点とは、良き生産者との協業による品質重視の商品づくりだ」

こう考えた千奈美専務は、全国各地の生産者の情報収集に励んだ。おりしも、政府主導で「農商工連携」が押し進められていたころ。多くの意欲的な生産者に出会えた。

例えば、取引先から紹介された京都・与謝野町の契約栽培農家。

有機肥料を使った特別栽培農法で、赤唐辛子やごまを育てている。これらを原料にした製品を山城屋ブランドで売り出したところ、好評を博した。

ほかにも滋賀県産の原料を使った無漂白のかんぴょうや、明石海峡で採れる天然もののわかめなど、次々にヒットが生まれた。

原点回帰に活路あり!売上減を覚悟してまで貫いた信念とは

これらの原料は生産量が限られ、全量買い取りが原則。他社が参入する余地が狭く、利益率は高い。

原点回帰を決めたとき、千奈美専務も真田社長も「売り上げは下がっていい」と覚悟した。

だが、2013年12月期に売上高は反転。2期連続で増収増益を記録している。

この記事を読んでくれたあなたへの問い

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画像:wikipedia

現代経営学の巨匠ピーター・ドラッカー

あなたの会社が蓄積してきた知識は何ですか?
その知識で貢献できる社会問題はないですか?

「成功している企業には、常に、少なくとも一つは際立った知識がある」と、ドラッカーは言います。

長年の努力は無駄にはなりません。未知の世界に飛び込む変革期こそ、自社の中にすでにある知識や強みを軸足にすべきです。

いざ第一足を踏み出すときに、世の中で今、話題になっている事象に着目するのも手です。真田が農商工連携の波に乗ったように、自社が関われる社会の課題はないか――そんな切り口から意外な強みが見つかるケースもあります。(佐藤 等)

佐藤 等(さとう ひとし)

佐藤等公認会計士事務所所長、公認会計士・税理士、ドラッカー学会監事。1961年函館生まれ。主催するナレッジプラザの研究会としてドラッカーの「読書会」を北海道と東京で開催中。著作に『実践するドラッカー [事業編]』(ダイヤモンド社)をはじめとする実践するドラッカーシリーズがある。

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株式会社エレメント

株式会社エレメント

【Dラボ】の制作・運営を行っている会社です。

2006年 旭川市にて、WEBサイト製作会社を立ち上げ200件以上のWEBサイト製作を手掛ける。創業3年目にただ作るだけのWEBサイト製作・業界の考え方に疑問を感じ、製作後の顧客WEBサイトで成果をあげる仕掛け、仕組みを追求。

成果をあげる方法、習慣的な貢献【マネジメントとマーケティング】であると感じ、ドラッカーやコトラーを学びだしてナレッジプラザ読書会に出会い今日まで【顧客の価値のある情報をユーザーに届ける】を実践する。

★実績★

・司法書士事務所のWEBサイトにて「札幌 ○○○○(某キーワード・守秘義務の為非公開)」で1位を取り、毎月の大きな広告費をゼロにして、さらに売り上げをアップさせる!

・ゼロから立ち上げて1年で月商200万円のドメスティックブランド通販サイトを立ち上げて現在も多くのブランドキーワードで上位を獲得維持しています。

・月商1000万円のインポートブランド通販のSEO対策で上位表示させるコンテンツ制作を手掛け1年で1800万円まで売り上げを伸ばす。

・月商6000万円以上のネット通販立ち上げから商材コンセプト設計などマネジメントにも携わる

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