「何とかしなければ」と叩いた門
私は大学を卒業した後、今も勤務している某エネルギー会社に事務系社員として入社しました。当時の会社の事務系社員の育成方針は「ゼネラリストを育てる」というもので、私も現場工場、海外部門、人事部門、購買部門、出向等、様々な経験を積む事ができましたし、国民生活や経済活動の基礎を支える「エネルギー事業」に従事している事自体には満足していましたが、その一方で「更なる成長」を求める自分、「狭い世界の中」で生きている自分がいる事にはまだ気がついていませんでした。
そんな中で私にとって大きな転機が訪れました。2004(平成16)年7月、北海道地区における新規事業発掘担当スタッフとしての生まれ故郷の札幌への異動でした。
札幌に異動した時期、会社は創立以来、初めてといい程の大変革を迫られていた時代で、会社はその解決策の一つとして様々な新規事業を模索しており、試行錯誤していました。新規事業担当に対し、当時の社長は「新規事業担当の社員はシーズ発掘から事業化まで一貫して成し遂げられる能力を持つべし」と言っていました。そんな会社トップからのメッセージに対し、何度、自問しても「自分にはそんな能力は一切ない。何とかしなければ」という答えしか出ず、ひょんな事から知った地元の小樽商科大学のビジネススクール(MBAコース)に札幌異動の翌春入学する事となりました(入学直前にこれもひょんな事から今の恩師の佐藤等先生と出会う事になりました。)
ビジネススクールで知ったドラッカー
ビジネススクールでは、戦略、マーケティング、ファイナンス等、所謂「ビジネススキル」を習得する授業が大半を占める中、私に痛烈な印象を受け付けたのがビジネススクールでの恩師である瀬戸篤教授(佐藤等先生の師匠)のアントレプレナーシップ(起業家精神)・技術革新・イノベーションに関する読書会形式の授業で、その中で頻繁に取り上げられたのがドラッカーでした。
瀬戸教授の授業で最初に取り上げたドラッカーの本は「イノベーションと企業家精神」でした。それまでドラッカーについて知っている事と言えば正直、「マネジメント」という概念を生み出した人、ダイヤモンド社の「ドラッカー塾」等で名前を知っているぐらいでした。
事前課題として「イノベーションと企業家精神」を読み終わった時、「イノベーションって『技術革新』と言われるが、技術的なものだけがイノベーションじゃなく、もしかしたら、自分もイノベーションの担い手になれるかもしれない」、「イノベーションが生まれるにはそれ相応のプロセスがある」と思い、「イノベーション」という言葉とドラッカーという人にあこがれの気持ちが生まれました。
そして、実際の授業では、クラスメートの「イノベーションと企業家精神」で心に響いた部分とその理由の披露および瀬戸教授の解説で「イノベーション」と「ドラッカー」に理解を深めました。圧巻だったのは授業後の瀬戸教授を囲んでの懇親会で「ドラッカーは豊かな社会を望み、社会を構成するあらゆる者に成長を求め、社会への寄与を求めている。君たちはそれぞれの立場でイノベーションを起こしていく義務があるが、ただ、イノベーションへの熱い気持ちだけでは成し遂げられない。気持ちと両輪として働くのはマネジメントであり、マネジメントについても大いに学んで欲しい」と熱く語られ、熱い気持ちになりました。
そんなドラッカーを知るきっかけとなった小樽商科大学ビジネススクールでの2年間を修了した直後の2007(平成19)年5月にドラッカー学会(2005年11月設立)の総会が学び舎だった小樽商科大学札幌サテライトで開催され、更なる学びの場があるのだと知りました。そして、その2か月後の7月に異動で東京に戻りましたが、佐藤等先生からの薦めでドラッカー学会に入会し、更にドラッカーについて学びを深める機会を得ました。(続く)

八谷 俊雄

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