ドラッカーのことばを使って「第三の創業」を実践、廃棄と集中で成果をあげる3代目経営者。(株)日興電機製作所 代表 和光良一さん@埼玉


ドラッカーのことばを使って「第三の創業」を実践、廃棄と集中で成果をあげる3代目経営者

 

(株)日興電機製作所 代表取締役

和光良一さん

 

1972年東京生まれ。

図書館情報大学大学院卒、NTT入社。

2003年、(株)日興電機製作所に入社、

翌年、社長に就任。

 

前社長の父が急逝し、社長になる

 

—現在のお仕事を教えてください

(株)日興電機製作所の代表取締役です。弊社の創業は昭和23年。

祖父がおこした会社です。祖父は電電公社の前身にあたる役所につとめておりました。

戦後、一面焼け野原になった日本を興そうとつくった会社。社名にその志が込められています。

ずっと電電公社に通信機器を納めているメーカーでした。

具体例でいうと、電柱の近くに黒い四角いものを見たことがあるかと思います。「接続端子函」と呼ばれるものがあります。こういったものを製造・販売しています。

 

—どういう経緯で社長へ?

平成11年にNTTの東西分割化がありました。

ウチは売上の9割がNTTさんでした。当社の売上は激減。

メタル通信から光通信にシフトしたことなど技術的な環境は激変していくさなか、このパラダイムシフトに取り残された感がありました。

売上が20億円くらいあったのですが、1/3になりました。

先代の前社長はリストラを断行したりして奮闘中。

私はNTTの関連会社でサラリーマンをしていました。

6年が経過したころ、正月に帰省した時、ふと父に言ってみたんです。

「会社を手伝おうか?」と。そうしたら「おお」と喜んでくれました。

入社して半年後、なんと、父がくも膜下出血で急逝しました。

そんなこんなで31歳で社長になりました。

 

—いろいろと改革を?

社内の効率化を目指して、ベルトコンベアの大量生産方式からトヨタのカンバン方式に代表されるような「セル生産方式」に切り替えました。

ひとりで全工程を組み立てるというやり方です。

すると、仕掛り品や在庫品がなくなりました。キャッシュフローも良くなりました。

工場の作業スペースもかなり空きました。

もうひとつの大きな課題は、売上をどうつくっていくか。

なされるべきことは「第三創業」だったんです。

どうしていいかわからなかった時に出会ったのがドラッカーだったんです。

 

 

—ドラッカーはどうでしたか?

「勉強せねば」と思い、経営者の本をいろいろと読みました。

MBAの本も手にとりましたが、どうもピンとこない。

そのころ2008年、東京でドラッカーの読書会が始まりました。

人づてにこれを知って参加したのです。課題本は『経営者の条件』でした。34歳の時です。

この読書会が開催されていなかったら、私は今でもドラッカーにふれることはなかったかもしれません(笑)。

参加して「これだ!」と思いましたね。

本を読んでいくにつれ、悩みが無くなっていくんです。

当時、採算が合わない部門がありました。やめた方がいいとわかっていても止められなかった部門。

ドラッカーの本には「廃棄せよ」と書いてありました。

「やれ!」と、撤退することの後押しをしてもらった思いがしました。

 

 

顧客に聞いて資源を集中させる

 

—売上の方は?

読書会では次に『イノベーションと企業家精神』を読みました。

ウチの会社にはこの本の中に書いてある「予期せぬ成功」があったのです。

かかってきた相手の電話番号を表示してパソコンに接続し顧客管理ができる機械(アダプター)。

「アロハ」と名付けた製品です。

美容室や歯科医院、宅配ピザ店などが導入しています。直接の顧客としては中小のシステム会社。

WEBで告知・販売していただけだったのですが、少しづつ売上が伸びていました。

けれど、放置されたままだったんです。

「予期せぬ成功は無視される」。まさにドラッカーが指摘する状態でした。

ある時の読書会の後、懇親会で主宰する佐藤等さんにこのことを報告したのです。

そしたら佐藤さんは「10社でいいので、実際に顧客に聞いてみたらいいですよ」とアドバイスされました。

実際にやってみました。そしたら出てきました、要望が。大きく2つありました。

「USB対応をしてほしい」と「継続して作ってほしい」でした。

継続してというのは意外でした。そこで「なぜ?」とさらに聞いてみたのです。

すると「御社のホームページ(HP)がぜんぜん更新されていないので」と(笑)。

ウチのHPって結構早い時期に開設していました。リストラ前、若手の社員が自ら制作していました。

その社員がいなくなり、私がソフト開発を手掛けていたこともあり、自分の強みだと思ってHPの更新を担当していたのです。

ドラッカーの言葉を知ってがくぜんとしました。

「誰でも、自分の強みは分っていると思っている。だが、大抵は間違っている」と。

そう、HP更新は私の強みではなかったことに気がつきました。

お客さまの声で「弱みだった」ことを理解しました(笑)。以来、HPは外注に切り替え、リニューアルしました。

 

—その後の成果は?

ドラッカーはこう言っています。「予期せぬ成功は、自らの技術と市場の定義について、いかなる変更が必要かを自らに問うことを強いる」。

そこで、自社に問うことにしました。今まではNTTが顧客でした。

実態と合わなくなっていました。

そこで顧客の定義を「電話を仕事で使う全ての人」とし、事業の定義を「お客さまの余計な心配を減らす」と定めてみました。

スタッフという経営資源を集中させ、機能の向上や品質の安定などにつとめていくことにしました。

結果、売上は当初の4倍になりました。

 

 

—どのようにドラッカー本を読んでいますか?

私は『経営者の条件』本をいつも携帯していて、1日に1回、全ページをぺらぺらとめくることを毎日していたことがありました。

長い時間ではないですが、一通り、ドラッカーの言葉シャワーをあびるような読み方です。

上田先生の翻訳本(エターナル版)以外に、ちがう訳本も読んで理解を深めることもあります。

自分が読書会のファシリテーターをやるようになってからは、野田一夫さん訳に目を通すこともあります。1966年に出版された『経営者の条件』です。

原書は英語だから読めないんですね(笑)。そのかわりです。50年以上前の本なので、日本語としては読みにくい部分はあるのですが、原書だと思って読んでいます。

 

—すばらしいですね

当社では社内でもドラッカーの読書会をやっています。

ドラッカーマネジメントを体系的に学べる場所として当社を使ってほしいとという希望もあります。

10年後には弊社の工場に千人くらい工場見学にくるようになり、ドラッカー思想を広められればうれしいですね。

 

 

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花岡 俊吾
1965(昭和40)年、北海道恵庭市生まれ。高崎経済大学卒業、(株)ピーアールセンターにて広告・マーケティング業務に従事。2007年独立、「北海道体験.com」のプロジェクトに参画。人口減少の道内経済に貢献すべく、北海道の新しい体験観光情報の発信をライフワークにする。カメラを片手に、年間100日以上をアウトドアフィールドで取材活動。新聞記事連載やWEBコンテンツ制作がメインの仕事。P.F.ドラッカーの読書会、札幌ビジネス塾に10年以上通い、上田惇生先生のサイン入り『経営者の条件』は家宝。著書に『アウトドア&感動体験ガイド北海道』(北海道新聞社)。休日はマラソンと登山に勤しむ。

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