人生100年時代の先人:絵で見るドラッカーの人生【1929年】(1909〜2005年)


絵で見るドラッカーの人生【1929年】

早くから観察者としての資質に気づき、ウィーンという息の詰まる過去の都を出て、ドラッカーはせき立てられるように居場所を変えていった。17歳でギムナジウムを卒業してウィーンを出てから、ハンブルグで一年半の商社見習いを経験し、国際金融都市フランクフルトへと移った。最初に就職した米系の証券会社が1929年の大恐慌で倒産した。

『ファルスタッフ』の教え

ドラッカーが生まれたウィーンは音楽の都である。親戚にも音楽家が多い。本人も音楽家、とくに作曲家になりたかったという。ドラッカーが18歳、ハンブルグ働いていた頃は毎週音楽会に足を運んでいた。そのなかで、ヴェルディ(19世紀イタリア歌劇を代表する作曲家。1813年〜1901年)の『ファルスタッフ』(シェークスピアの史劇『ヘンリー四世』などに登場する老騎士。喜劇のオペラ)を観た。青年ドラッカーは全身が震えるほどの感動を覚えた。

すぐにそれがヴェルディ80歳のときに書いた最後のオペラだったことを知る。80歳という年齢がドラッカーを驚かせた。かくも高齢の人がどうしてあのような生き生きとした人間賛歌の大作をものにできたか。ドラッカー自身、まわりを見回しても80歳まで生きている人など見たことがなかった。そのときドラッカーは自分も最高のものを遺すべく挑戦を続けたいと思ったという。

ヴェルディはドイツのワーグナーとヨーロッパの音楽界を二分する富と名声を得ていた。友人たちはそんな彼に幸せな引退を勧めたというが、ヴェルディは「人間だけが失敗から学ぶことができる。私は多くの失敗をしてきた。したがって、私は努力を続けなくてはいけない」と答えた。

ヴェルディは、「どれが最高の作品か」と聞かれたとき、「次の作品」と答えたという。ドラッカーも同じ質問に対して、やはり「次の作品」が変わらぬ答えだった。『ドラッカー入門 新版』より

※この情報は『ドラッカー入門 新版』のp.281~の「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。

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五月女 圭司

『人生を変えるドラッカー』を読んで「人生は変えられるよ!」と、神さまの声が聞こえた気がした55歳の会社員。己と向きあうには師匠がいる。私の師匠はドラッカー教授の「ことば」(お逢いしたことはありませんが…)。個人も組織も「地域貢献」が人生のテーマ。私のミッションは「人」と「ドラッカー」と「音楽」をつないで笑顔が絶えない社会を創るために日々まい進すること。

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