人生100年時代の先人:絵で見るドラッカーの人生【1930年】(1909〜2005年)


絵で見るドラッカーの人生【1930年】

最初に就職した米系の証券会社が1929年の大恐慌で倒産した後、アメリカ経済短信を書いていた縁で当時三大紙の一つとされていた『フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー』の記者になる。ジャーナリストの仕事は現実を観察して書くことであるからして、観察力をさらに研磨するのにうってつけの仕事に就いたといってよい。

『フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー』

(中略)証券会社にいたとき、アメリカ経済短信なるコラムに執筆していた縁によるものだった。本人によれば、第一次世界大戦で中堅どころが軒並み戦死してしまったこともあり、若くして記者として頭角を現し、編集委員にまで抜擢された。

記者生活は1929年から33年まで4年間弱続け、そこで経済社会への理解を深めつつ、高度な自己研鑚を重ねることとなった。

ギムナジウムを出て専業学生として進学しなかったのは、期待しうる学びがあまりに貧相だったためだった。しかし、あくまでも専業の学生になることを拒否したということであり、ハンブルグでもフランクフルトでも、大学に席を置いたのはドラッカーなりの作法にのっとったものといえる。というのも、ドイツの大学では職業の並立はめずらしいことではなかった。

とくにフランクフルト大学は歴史が浅く、1912年市民によって創立された大学だった。ドラッカーが在籍した20年代にはいわゆるフランクフルト学派が隆盛を極め、リベラルの気風で知られていた。そこでは自主的な講座選択が奨励されていた。課程は高度に柔軟だった。必修科目や試験はおろか、レポート提出の義務さえなかったという。最終試験に合格さえすれば卒業できた。

フランクフルト時代、ドラッカーは多くの講義に出席し教師観察を継続している。知的な刺激を受けるためだった。『ドラッカー入門 新版』より

※この情報は『ドラッカー入門 新版』のp.281~の「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。

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五月女 圭司

『人生を変えるドラッカー』を読んで「人生は変えられるよ!」と、神さまの声が聞こえた気がした55歳の会社員。己と向きあうには師匠がいる。私の師匠はドラッカー教授の「ことば」(お逢いしたことはありませんが…)。個人も組織も「地域貢献」が人生のテーマ。私のミッションは「人」と「ドラッカー」と「音楽」をつないで笑顔が絶えない社会を創るために日々まい進すること。

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