絵で見るドラッカーの人生【1938年】
教 育(思考の実験室)
1930年代後半から40年代初頭のあたり、ドラッカーはフリーのジャーナリストとして活躍しつつ、全国を講演して回った。そのなかで、ヘンリー・ルース、マーシャル・マクルーハンなどのそうそうたる論客と知遇を得た。
この頃のドラッカーは、とにかく手当たり次第びさまざまな領域でみずからの威力を試していた。その意味で、ドラッカーの20代はどこまでも実験だった。仕事をこなすことで、自らの傾向や強みを探る時期だった。
後日ドラッカーは雑誌のインタビューで、「自らの身を置くべき世界がおぼろげながら見えてきたのは30を過ぎた頃だ」と述べている。
もちろん、フリーのジャーナリストとして一生やっていくつもりはなかった。天職とも思ってなかったし、特定の仕事への専心が自分に向いていないことも知りつつあった。
だが、いかなる仕事を多面的に展開したところで、足場の一つが教育に置かれていることは譲れない要件だった。教えることの最大の利点は、実務では持ちえない、思考の実験室を持ちうることにあった。
それというのも、コンサルティング(外部の立場から経営の相談に乗る専門的サービス)の実務では実験が意味をなさない。クライアント先の企業を実験室にしてしまうなど、許されることではない。医療において患者の治療を実検代わりにすることが許されないのと同じである。
しかし、ケース(現実の企業行動を観察し本質を凝縮的に示したもの)ならば別である。ケースは経営の現実そのものではないものの、本質のままに保存している。そこにはドラッカーの経験や視座、診断力がそのまま生きている。医療にあってケースが病院と診察室に集積されるのと同じように、ドラッカーはコンサルタントとして手にしたケースを大学の講義を通して再現し、磨きをかけていった。
さらには、教えることで学びは倍の効果を持つ。ドラッカーは教室をかけがえのない学びの場ともした。実際に受け持った科目は幅広く、経済学、倫理学、政治学、哲学、文学、社会学、歴史学、統計学、国際問題にまで及んでいた。『ドラッカー入門 新版』より
※この情報はのp.281~の『ドラッカー年譜』をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。
五月女 圭司
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