絵で見るドラッカーの人生【1939年】
20代最後の年、1939年にはアメリカ国籍を取得し、この地で自らの本領を発揮する決意を固めた。サラ・ローレンス大学で非常勤講師の地位を得たのも同年のことだった。念願の仕事だった。当時から並行して企業の調査や政府のコンサルティングにも従事していたが、一時の繁忙期を除けば没するまで大学の教壇に立ち続けた。
その後、ベニトン、ニューヨーク、クレアモントの各大学で教壇職に就いたことが、思考のフィードバック装置として教育を重視した表れといえた。
『「経済人」の終わり』
1939年、29歳のときドラッカーは、念願の第一作をアメリカで刊行した。ファシズム全体主義の本質をえぐる『「経済人」の終わり』だった。
当時ドラッカーとも交流のあったメディアの予言者マクルーハンは、『「経済人」の終わり』と『産業人の未来』の初期二作は高度にヨーロッパ的感性によって貫かれていると評した。まったくその通りであって、刊行地はアメリカながらもヨーロッパの書物だった。
『「経済人」の終わり』は後の大英帝国の宰相ウィンストン・チャーチルの激賞を受けた。イギリス軍のダンケルクからの撤退の直前、ヨーロッパ文明の終焉とナチズム勃興の原因を探る本書を読んだチャーチルは、イギリス陸軍の幹部候補生学校の卒業生全員にこの本を贈った。
本書の出来に賛辞を送ったのはチャーチルだけではなかった。『歴史とは何か』で著名なE・H・カー(イギリスの外交官・国際政治学者。1892〜1982年)もその卓越した眼力に目を止めた。
後にノーベル賞を受賞した経済学者F・A・ハイエクもこう評した。「今や全体主義国家となってしまった国々において、市民としてその大変動を生き、その経験ゆえにそれまで大切にしていた信念を変えることを余儀なくされた人々の証言は数多い。ここで、その例のなかから一つだけ、これまで引用したものと同様だが、おそらくより適切に述べられた結論として、一人のドイツ人文筆家の証言をあげておこう。ピーター・ドラッカー氏のものである」(『隷従への道』西山千明訳、春秋社)
歴史家のノエル・ブレイルズフォードはこう評した。
「人の知覚力に差が出るものは動くものにおいてである。動かないものであれば誰でも見ることができる。複雑なるもののなかにパターンとリズムを識別するには、格別の眼力を必要とする。音楽であれば、奏者が演奏を中止してもフーガの先を聞き取る。現代史家であれば、社会の成り行きを見ることができる。その眼は放射されたものの行き先を見る。ピーター・ドラッカーには、そのような才能がある」
彼の目にはっきり見えたのは動くものだった。現に動きつつあるものだった。実際に『「経済人」の終わり』では、その数ヶ月後に電撃的になされた独ソの急接近、すなわち、その年の8月に結ばれた独ソ不可侵条約まで予告していた。
ドラッカーの目には、ナチスによるヨーロッパ支配とともに、それに続くヨーロッパの廃墟が見えた。本書ほどにドラッカーの視覚の尋常ならざる力を雄弁に語るものはない。しかもその廃墟から立ち上がるための方法論を探して、明治維新を発見したのがドラッカーだった。『ドラッカー入門 新版』より
※この情報はのp.281~の『ドラッカー年譜』をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。


五月女 圭司
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