人生100年時代の先人:絵で見るドラッカーの人生【1942年】(1909〜2005年)


絵で見るドラッカーの人生【1942年】

 

『産業人の未来』

『「産業人」の終わり』の刊行により、ドラッカーは若くして一級の社会評論家としての地位を得た。結果として、『タイム』の創業者ヘンリー・ルースから『フォーチュン』誌10周年記念号の編集コンサルタントに招聘された。

その仕事を首尾よく終えたにもかかわらず、『タイム』『ライフ』両誌の高級ポストのオファーは辞退した。自らの書き手としての知的独立が損なわれるとしたためだった。

一方で、教職への扉が開かれていった。バーモント州の名門女子大ベニトン大学で政治、経済、哲学をカバーする教授に就任の要請があった。同僚には、社会心理学者のエーリッヒ・フロム(ドイツ生まれの社会心理学者。1900〜1980年)、モダンダンスのマーサ・グラハム(アメリカの舞踏家。1894〜1991年)らがいた。ドラッカーは旧知の間柄の経済人類学者カール・ポラニーを伴ってその要請を容れた。

その後第二次大戦中にあっても、コンサルティング、講義、執筆が生活の中心を占め、1942年、第二作『産業人の未来』に結実することになった。

『「経済人」の終わり』を診断の書とするなら、『産業人の未来』は処方の書だった。『「経済人」の終わり』は西欧文明の終わりを、『産業人の未来』は新たな文明の始まりを宣言していた。前者はヨーロッパの終焉、後者はアメリカの役割に焦点を合わせていた。

「経済人」とは、経済のために生まれ経済のために死ぬという経済至上主義のことだった。では、次に来るべき人間観は何か。

それが「産業人」だった。「産業人」とは組織にあって、財サービス、さらに市民性と自由と絆を手にする存在だった。とするならば、企業は「産業人」の大切な教育修練の場であることになる。財サービスを供給する以上の意味を持つ。産業に携わることによって、人は市民としての地位を獲得する。そこでの企業は、中世の教会や村落共同体にも比すべき、人間の実存のかけがえのない培養器たるべきものだった。『ドラッカー入門 新版』より

※この情報はのp.281~の『ドラッカー年譜』をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。

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五月女 圭司

『人生を変えるドラッカー』を読んで「人生は変えられるよ!」と、神さまの声が聞こえた気がした55歳の会社員。己と向きあうには師匠がいる。私の師匠はドラッカー教授の「ことば」(お逢いしたことはありませんが…)。個人も組織も「地域貢献」が人生のテーマ。私のミッションは「人」と「ドラッカー」と「音楽」をつないで笑顔が絶えない社会を創るために日々まい進すること。

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