人生100年時代の先人:絵で見るドラッカーの人生【1946年】(1909〜2005年)


絵で見るドラッカーの人生【1946年】

産業社会は成立するか

結果として、GMはドラッカーが最初に手がけたケーススタディとなった。そこでドラッカーは、「企業はいかにして自由な経済活動を行いうるか」「それに伴う強みと弱みはどのよなものか」「企業の持つミッションとはいかなるものか」「マネジメントは社会にとっていかなる価値を付与しうるか」「いかなる貢献をなしうるか」「何をなすべきでないか」、そして何よりも「産業社会は社会として機能するか」といった問いを胸に、調査に臨んだのだった。

これらの問いからもわかるように、ドラッカーにとってはじめから企業は、利益創出機関ではなく、社会的な機関だった。常に主語は人と社会だった。人と社会がいかなるときも中心だった。

契約期間は2年とされた。もちろん兼業は自由だった。その間ドラッカーは大学でも教鞭をとり続けた。

GMに入ったドラッカーを迎えたのは経営幹部たちの冷たい視線だった。組織の研究は、組織の力学、場合によっては権力闘争の観察を避けて通ることはできない。一人ひとりの経営幹部からしてみれば、近い将来の自らの出世や人事全般と深い関わりを持つ。そんなデリケートな領域に外部者が入ってくることを好む理由はない。ドラッカーも即座にそのことを察した。

しかし、ドラッカーが企図したのは、社会機関としての企業研究だった。しかも、その研究は社会全体に意味を持つものだった。

当初調査結果の公表についてはあくまでも内部資料の位置づけにとどめるものとされていたが、それでは意味がなかった。国家機密に関わる軍需関連部門を例外として、調査結果の公表まで了解を得た。かくしてこのGM調査は、『企業とは何か』として1946年に世に出た。世界ではじめてのマネジメント・ケースブックとなった。

観察者の目

ドラッカーの初期三部策はみごとな構成をとっている。『「経済人」の終わり』で診断を行い、『産業人の未来』で処方を明らかにし、『企業とは何か』で問題意識と総合的視座を示した。

いずれも、独自の視野で躍動的に息づいている。自らはあるがままの現実を視野に収める観察者に徹している。視野に収めた現実を省察し考え抜いている。すでに、観察者ドラッカーへ初期三部作で完成の域に達していた。

『企業とは何か』はGMの支援でなされた調査研究であるにもかかわらず、社史でもなければ企業案内でもなかった。完全にドラッカーの視座そのものだった。持ち上げたり、ほめそやしたりする記述は一切見られない。調査のスポンサーにおもねるところはまったくなかった。観察者としての尋常ならざる一貫性に私たちはもっと驚いていいだろう。

ドラッカーはGMの内部組織の観察を通して、企業というものに特質を見ようとした。生物学者が細胞を取り出してそれを培養し、その構造を分析しつつも、生命体の働きや伸長に思いを馳せるのに似ていた。ドラッカーの出発点だった。

関心は、企業とその活動を中心とする産業社会なるものは、社会として成立し存在し続けうるかの見極めにあった。

しかも、その時点でドラッカーには組織のための方法論が、大企業にとどまることなく広汎に応用できることもわかっていた。確かに大企業は社会の代表機関であるが、社会は大企業のみの組織で占められるわけではない。ドラッカーは教会、軍、大学、行政さまざまなところに組織のための手法が使えることを予感していた。

それから半世紀を経てドラッカーは『非営利組織の経営』を刊行した。今なおNPO関係者のバイブルとされている。実はGMの内部調査を行った30代半ばにして、やがて来る社会の多元化を予感していたのだった。『ドラッカー入門 新版』より

※この情報は『ドラッカー入門 新版』のp.281~の「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。

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五月女 圭司

『人生を変えるドラッカー』を読んで「人生は変えられるよ!」と、神さまの声が聞こえた気がした55歳の会社員。己と向きあうには師匠がいる。私の師匠はドラッカー教授の「ことば」(お逢いしたことはありませんが…)。個人も組織も「地域貢献」が人生のテーマ。私のミッションは「人」と「ドラッカー」と「音楽」をつないで笑顔が絶えない社会を創るために日々まい進すること。

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