絵で見るドラッカーの人生【1949年】
「MBAは好きになれない」
昨今、MBAなどでは即戦力重視と称し、高度に実用的な知識が教えられ、巷間ありがたがられている。
ドラッカーは1950年代にニューヨーク大学でマネジメント学科を創設し、自ら責任者を務めたMBA教育の草分けである。そのドラッカーが1970年のインタビューで「私はMBAがどうにも好きになれない」と述べている。その真意は、MBAは一見クリアな答えらしきものばかり教えようとし、背後にある見えざる存在に思いを馳せようとしないためだという。
即座に戦力になる知識などかりにあったとしても、そんな知識は風向き一つで役に立たなくなるのがふつうである。ドラッカーはそのような知識に関心を持たなかった。
MBA志願者は収入の高い職業獲得への野望をいささかも隠すことをしない。はっきりと金が欲しいと言う。ドラッカーはそのような姿勢を下品と感じていた。
「古風な私としては、教育とは特権を与えるものではなく、義務を課すものであるとの信念から、そのような風潮には異議を唱えざるをえない。したがって、いくつかの大学の学生募集パンフレットに見られるような、教育は現場の経験なしに高い地位と収入を得る近道であるといううたい文句には、不快感を禁じえない」(『現代の経営』)
1971年以降カリフォルニアのクレアモント大学院大学に移ったが、金への欲望を隠すことない野心家を嫌い、大学に多額の寄付をしても、そんな人なら挨拶もしなかったという。他方、人と世を思う経営者が相談にやってくると、何時間話をしても請求書などいっさい送らなかった。イトーヨーカ堂名誉会長の伊藤雅俊氏から聞いた逸話である。
ドラッカー自身マネジメントで名をなしたにもかかわらず、決して自らの本業たる書き教える以上のことには手を広げなかった。
ドラッカー・コンサルティングなどというファームを立ち上げれば、瞬時にマッキンゼーやボストン・コンサルティングに匹敵するワールドクラスの大企業に育っていたはずである。それでもドラッカーはそうしなかった。インタビューでも、「なぜ自ら経営しなかったのか何度も聞かれたが、しなかったのではなくできなかったのだ」と答えている。自らの強みと本業がそこにないことを知り抜いていたためだった。
「組織に特有の使命を果たす」。そこが儲かる分野とは限らない。本来自己実現が利益を生む保証などない。社会的な利益を実現する可能性を秘めるにすぎない。それらを組織を通じて社会の利益につなげることがマネジメントの役割である。それが、かの箴言「顧客の創造」の真意である。かつ、それが組織の存在理由である。
このように見てくると、マネジメントの父という一見俗界の王者のごときドラッカーの面貌も違って見えるのではないだろうか。ドラッカーは繊細な哲学と美意識を持つ思想家だった。『ドラッカー入門 新版』より
※この情報は『ドラッカー入門 新版』p.281~の「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。
五月女 圭司
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