絵で見るドラッカーの人生【1959年】

日本画見たさに初来日(「経済大国になる」と確信 )
初めて日本を訪問したのは1959年。箱根で開かれた日本事務能率協会(現日本経営協会)主催のセミナーで、約50人の経営者を前に講演するのが目的だった。
4日間のセミナー中、「コンピューターとは情報で、情報によって経営のやり方も社会の機能も変わる」といった話をした。すると、参加者は申し合わせたように「空想科学的な発想」と反応した。
3人だけ例外がいた。このうち2人はソニーの盛田昭夫さんと立石電機(現オムロン)の立石一真さん。2人とも、当時は日本でもまだ名前があまり知られていない企業の創業者だ。残りの1人は、すでに大企業だった日本電気(NEC)の小林宏治博士だ。3人とも亡くなったが、ずっと友人だった。
今も忘れられないエピソードがある。箱根滞在中、東京の出版社へ連絡を取るために一日中電話をかけ続ける羽目になった。当時のシステムは完全ではなく、ホテルの交換手が電話をつなぐことができなかったためだ。そのあおりで晩餐会に遅刻し、空いている席に座った。隣には小林博士がいた。
遅れたことをおわびすると、みんなが「直すまでに何年もかかる」と話すのだった。それもそのはず、日本の現状を調べた米国人の専門家グループは「米国式のシステムを導入するには10年は必要」との結論を出していたのだ。
ところが、小林博士は「米国式を模倣してもだめです。私の会社なら数年内にやってみせます」と反論。ほとんど試されたことがない技術を用いると言うので、だれも彼の発言を真剣に受け止めなかった。数年後に私が日本を訪問した時、全土で電話システムがきちんと機能していた。
実を言うと、日本訪問を喜んで引き受けたのは日本画を見たかったからだ。
1930年代半ばのロンドン時代。土曜日に午前の仕事を終えて帰途につくと、繁華街ピカデリーサーカスで突然の大雨に見舞われた。近くで雨宿りすると、そこでは英国初の日本画展が開かれていた。たちまち魅せられ、以来、ずっと日本画“中毒”だ。
初の日本訪問で、日本画だけでなく日本という国にも夢中になってしまった。ビジョンや勇気といった資質を備えた経営者に出会い、日本に大きな潜在能力があると確信したのだ。
間もなくして「日本は経済大国になる」という内容の論文も書いた。けれどもどこからも出版してもらえずじまい。日本は本格的な高度成長時代に入る前であり「経済大国になる」などとはだれも信じてくれなかった。私はいち早く日本の可能性を見抜いた欧米人だと自負している。
日本では水墨画を鑑賞できるし、友人にも会える。立石さんからはいつも京都の自宅へ招かれ、経済や技術ではなく文化や芸術について話し込んだものだ。それに加えて、家族で美しい山々をハイキングすることもできる。だから初来日から数十年にわたって、2年に一度は一家そろって日本を訪れ、数週間は滞在するようになった。
一つ補足しておきたい。日本で知り合った経営者はコンサルタント先ではなく友人だということだ。これまでにコンサルティング料はもらったことは一度もないと思う。『ドラッカー20世紀を生きて(私の履歴書)』より
※この情報は『ドラッカー入門 新版』p.281~の「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。
五月女 圭司
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