人生100年時代の先人:絵で見るドラッカーの人生【1979年】(1909〜2005年)


絵で見るドラッカーの人生【1979年】

まるで小説のような半生

ドラッカーが自分を「傍観者」であると気づいたのは、1923年11月11日祖国オーストリアの共和制移行を祝う首都ウィーンでのパレードでのこと。13歳のドラッカー少年はいよいよクライマックスを迎えんとする中で、真後ろの女子医大生に無言で赤旗を渡し、隊列を離れます。早い帰宅をいぶかり、「具合でも悪いの」と聞く母に、こう言うのです。「最高だよ。僕のいる所ではないってわかったんだ」。

ドラッカーは自らを「社会生態学者」と規定していましたが、まさにここにその原点がありました。分析するのではなく、知覚する人、「物見の役」であることを13歳の少年時代に認識していたのです。

中高一貫の進学校を卒業したドラッカーは、ウィーンを出てドイツのハンブルグで商社に就職します。仕事はインド向けの金物商社での在庫管理でした。しかし親の手前、ハンブルグ大学に籍を置きます。事務所の仕事は面白くなく、ほどなくフランクフルトに移り、フランクフルト大学に籍を置きながら証券会社に就職。世界大恐慌のあおりで会社がつぶれ、夕刊紙『フランクフルト日報』の経済記者となりました。

フランクフルト時代には、のちにナチス幹部となる同僚記者に「手伝ってほしい」と入党を勧められ、それを断っています。ヒトラーのものとなったドイツでは、教職に就くことも分筆業を続けることもできないと悟り、ロンドンへ渡ります。

ロンドンでは、運よくマーチャントバンクでアナリスト兼パートナーの仕事を得て、仕事は順風満帆。ピカデリーサーカスの地下鉄のエスカレーターで、フランクフルト大学の後輩だったドリスと劇的な再会をしたのもこの頃でした。しかしマネーゲームが退屈になったドラッカーは、1937年、新婚のドリス夫人とともになんのコネもないアメリカへと渡ってしまうのです。

本書は青少年、ヨーロッパ編、アメリカ編の三部立てとなっており、第一次世界大戦、大恐慌、第二次世界大戦と続く激動の時代を描いています。ドラッカー自身「ついに私が書きたくて書いた本だった」と語り、ドラッカー通の多くが一番好きな本だと打ち明ける本書。ドラッカーとその思想を知るうえで、これ以上のものはありません。『P.F.ドラッカー完全ブックガイド』より

※この情報は『ドラッカー入門 新版』p.281~の「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。

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五月女 圭司

『人生を変えるドラッカー』を読んで「人生は変えられるよ!」と、神さまの声が聞こえた57歳の会社員。己と向きあうには師匠がいる。私の師匠はドラッカー教授の「ことば」。この「ことば」が自らを成長させてくれます。私のミッションは「人」と「音楽」と「ドラッカー」をつないで『みんなが今日を生き生きと働くために、心から「笑顔になれる機会」を与えるになる!』こと。 【何によって覚えられたいか?】 「いつも笑顔でチャレンジしている人」と覚えられたい!

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