明日を担う人材育成に、ドラッカー読書会を通じて実践する 北海道議会議員(札幌市白石区) 広田まゆみさん@札幌


明日を担う人材育成に、ドラッカー読書会を通じて実践する

北海道議会議員(札幌市白石区)

広田まゆみさん

 

1963年、函館市生まれ。

北大卒、道庁職員を経て道議会議員に。

 

頼まれたら断らずに政治の世界へ

 

—どのような経歴ですか?

函館市生まれの札幌市育ちです。サラリーマンの父の転勤で札幌に引っ越しました。自宅から近い学校へ行けということで進路を選択。高校・大学時代は暗いまじめな学生でした。社交性はいまも昔もないですね(笑)。

文学部にしたのは、本はずっと子どものころから好きだったからです。うちは、おこづかいはそのつど申告制。でも、本だけは毎月2冊、好きなものを買っていいというルールでした。大学での専攻はロシア文学で卒論はトルストイ。

就活は、会社訪問とかできないタイプだったので、公務員試験を受け北海道職員になりました。

 

—道庁職員時代は?

道庁での最初の仕事は生活保護のケースワーカーでした。6年間携わりました。

次は労働組合専従へ。組合といっても、きっかけは、婦人部だったので、サークル的な存在でした。頼まれて、なんとなく断ることができずに引き受けました。まじめに活動していただけでしたが、役員に推薦されました。

結果的に道庁には11年間在籍しました。そのうち4年間は労働組合の専従でした。

 

 

—転機は?

知事公約をつくる仕事にかかわることがありました。その大切な公約は周囲の職員にはほとんど読まれていないことに驚きを感じました。

知事のあいさつ原稿を作成する仕事も、昨年とはちがう不祥事の陳謝を内容に加えたら大幅にアカ入れされて。なんだか納得がいきませんでした。

わたしは不器用な人間。うまく組織内で貢献することができず退職することにしました。1997年、33歳の時です。

 

—小さな農村へ移住を?

当時、異業種交流会が盛んに行われていました。わたしも参加していました。その中で空知管内の農家の方々と知り合いになりました。週末ごとに農家を訪ね、異業種交流の流れで活動をしていました。

そのご縁で、いろいろなキャリアの人と接することができました。目からウロコがバリバリと落ちていきました。

「空いている農家が年間1万円くらいでいいから、来るんだったらどうか」というお誘いを受け、縁もゆかりもない雨竜町へ移住しました。

 

—政治家へはどうして?

「名前を貸してほしい」と言われ、衆議院の民主党から比例候補で出馬したのが最初です。

そのお話をいただくちょうど2日ほど前に、出面として草取り作業している時。お金や時間も、国家も法律も、もともと自然界にないのに人間が幸せになるために作ったしくみ。そのことに、人間がふり回されていることがおかしいなと、天から声が降ってくるように思ったのです。人間がつくったものなら、人間が変えられるのだなと。

そこで、法律やしくみをつくる側の人になりたいと思い、「やります!」と。政治の世界に踏み出す瞬間でした。しかし、当選しませんでした。

その後2007年、「白石区から道議として出馬しませんか?」と。ありがたいことにこの時は、トップ当選でした。期待票の風とビギナーズラックによってだったと思います。

 

 

—議員としてどのような活動を?

わたしの強みは「学習欲」なので、勉強会とか相談会の開催がメインです。その他は、積極的に、道内外の現場の視察などをしています。

法制度をつくる側になりたいと政治の道に入ったのですが、変化の大きな時代には、法制度整備が、後手後手になってしまうことも痛感しています。今は、地域の小さな実践をつなげていくことで北海道の未来が開けてくると思っています。

自分ができることとして、学びの場所・共通言語をつくる場・情報提供する場をつくっていくことです。議員3期目は道議会の会議室をつかって行政マンと議員と実践者を集めて勉強会を開催しています。学びとか、人材育成、がテーマ。マニュアルではなく自分の頭で考えて行動できる人をつくろうと思っています。特に子どもの教育って大事だなと感じています。

加えて、「100人の社会企業家的地方議員の誕生を目指す」をミッションに掲げています。ひとりのカリスマが出るより、100人のちょっと変わった人がいる方が、今の時代のように変化が激しい時にはいいかなと。

日々は地域活動をこつこつと取り組んでいます。ここ白石区は約11万世帯、21万人くらいいる選挙エリア。人の移動も多いので厳しい選挙区ではありますね。

 

ドラッカーのことばを学ぶ場をつくる

 

—ドラッカーに会ったのはいつ?

ドラッカーに初めて、さらっとふれたのは道庁をやめて雨竜町に移住した時。NPO法人を設立して活動しようと思っていました。そのNPOの教科書として、ドラッカーの『非営利組織の経営』を手にとりました。1回は読んだ記憶があります。

その次は、議員になってから。マネジメントを勉強したいと思いました。そこで小樽商大のMBAスクールに試験を受けて入学しました。選挙に当選した年、2007年です。普通、2年で卒業なのですが、わたしは4年かかかって卒業できず(笑)。

ドラッカー読書会に参加するきっかけは、「活食 隠酒蔵かけはし」の下川部康雄さんの読書会を知ったからです。同じ母校、札幌西高つながりということもあり参加しました。日曜日の午後は空いていた時間帯だったので通い出して、この読書会で佐藤等さんとも会うことになりました。

 

—その後本格的に?

ドラッカーの時間管理の成果で、10年ぶりに、ヨーロッパ旅行にいく機会がありました。飛行機の移動が長いので本を読もうと。なぜ、これにしたか正確には覚えていないのですが、ドラッカーの初期3部作である『「経済人」の終わり』・『産業人の未来』・『企業とは何か』を持参しフライト中に読み切りました。

ドラッカー読書会のファシリテーター養成講座まで進んだ動機としては、道庁組織をどうしたらいいのか。道庁の人とどう伝わることばでコミュニケーションし、活性化をしたらいいのかなどを考えていたからだったような気がします。

 

 

—ドラッカーのどのあたりが好きですか?

「強みを生かす」ということばにひかれました。大著『マネジメント』の結論にあたるところに書いてある「私的な強みは公益になる」というフレーズも。

「自分にできて人にできないことで、もし本当にうまくやれば社会を大きく変えるものは何か」。「位置と役割」といったことばも響きましたね。

最初に実践したのは、時間を管理するというところです。実際に時間を記録することをやってみました。

 

—どのような成果を?

「道庁読書会」立ち上げのきっかけをつくることができました。これは自分の中では大きいことでした。「自分にしかできないことは・・・」と考えた時、その答えが道庁内でドラッカーの読書会を開催することだったのです。

まずある副知事に会いに行きました。たまたま、当時の副知事もドラッカーを読んだことのある方。4年前のことでした。

道庁読書会では、『経営者の条件』と『マネジメント』を読んでいます。この読書会は進行役であるファシリテーターも道庁出身者が誕生しました。わたし自身は、立ち上げ以降はもう直接かかわっていません。

 

—次は、大学との連携に挑戦?

現在は、岩見沢市で開催している読書会でファシリテーターをしています。わたしは学ぶのは好きだし企画するのも好きなのですが、おしえることは得意じゃないのです。

今回、ファシリテーターの先輩である田畑祐司さんから中級編に相当する「アドバンスコース」(札幌開催)のファシリテーターをやってほしいと頼まれた時も、1回断りました。けれど、再度頼まれたのでやることにしました。田畑さんのおかげさまで道庁読書会も継続できているから、断れませんよね。苦手だとわかっているけれど、チャレンジしようと思って引き受けました。

今後は、岩見沢読書会を盛り上げようと思っています。岩見沢には北海道教育大学岩見沢校があります。ここの学生にも参加してもらいたいと思っています。大学との連携を模索しています。

 

 

—好きな本をおしえてください

初期3部作かもしれません。『「経済人」の終わり』・『産業人の未来』・『企業とは何か』。ドラッカーの政治に関して書かれている本。

今は社会生態学に興味があります。その意味では『テクノロジストの条件』は意外にもおもしろい本でした。変化を脅威ではなく機会ととらえる人をつくらないかぎり、社会は安定して成長していかない。

ここがツボですね。

 

 

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花岡 俊吾
アウドドアライター/記事制作者   1965(昭和40)年、北海道恵庭市生まれ。高崎経済大学卒業、(株)ピーアールセンターにて広告・マーケティング業務に従事。2007年独立、「北海道体験.com」のプロジェクトに参画。人口減少の道内経済に貢献すべく、北海道の新しい体験観光情報の発信をライフワークにする。カメラを片手に、年間100日以上をアウトドアフィールドやキャンプ場の取材活動。新聞記事連載やWEBコンテンツ制作がメインの仕事。P.F.ドラッカーの読書会、札幌ビジネス塾に10年以上通い、上田惇生先生のサイン入り『経営者の条件』は家宝。著書に『アウトドア&感動体験ガイド北海道』(北海道新聞社)。休日はマラソンと登山に勤しむ。

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