人生100年時代の先人:絵で見るドラッカーの人生【1982年】(1909〜2005年)


絵で見るドラッカーの人生【1982年】

「知られざるもの」による文明

マネジメントにはドラッカーの世界認識が高度に濃縮されている。だが、認識の仕方ほど認識されにくいものはない。ドラッカーが提唱する世界観は、ゲーテが自然現象のなかに見出した形態に伴う秘密を思わせる。ドラッカーは『変貌する産業社会』で次のように述べている。

「マネジメントのための教育機関は増えたものの、そこで教えるべきマネジメントの体系のほうは未熟なままの段階にある。われわれは、教え、学び、充実し、改善していくことのできるマネジメントの体系を必要としている。モダン(近代合理主義)を超えたものとしてのポストモダン(脱近代合理主義)の世界観による体系である。不可逆のプロセスとしての体系、目的律を内在する体系である」

「そこで扱うのもは、変化、イノベーション、リスク、判断、成長、陳腐化、献身、ビジョン、報償、動機など、たとえ定量化できたとしても、本質は定性的なものばかりである。しかも、われわれがそこから得るべき知識は、一人ひとりの人間と社会に直接の関わりを持つ意思決定のためのものである。(略)途上国はポストモダンの世界観を必要とする。自らの持つ西洋的ならざるもののうち最善のものと、西洋の信条、知識、道具との融合を可能にするのは、ポストモダンの世界観だけである。いかなる文明といえども、他の文明が脱ぎ捨てた衣装をそのまま身につけることはできない」

ポストモダンの世界観とは、マネジメントそのものである。あるいは社会生態学そのものである。

ドラッカーの著作においてマネジメントと世界観が一体として論じられるところは意外に少ない。しかし『変貌する産業社会』(新訳未刊)では、そのことが誤解の余地なく述べられている。1957年の著作であるはが、その重要部分は『テクノロジストの条件』(2005年)と『P・F・ドラッカー完全ブックガイド』(2012年)で紹介した通りである。

この引用からも近代合理主義が切り捨てて省みることのなかった形態把握の復活を彼が意識していたことがわかる。

デカルトの世界観が三世紀以上の命脈を保っていたことを考え合わせると、ここで示された問題意識は、おそらく21世紀から24世紀あたりまでは有効なものとなる可能性がある。

モダンにあたっては、知の持つ最も深い部分に発する欲求は実現されることはおろか、認識可能なものともなっていない。モダンに特有のエビデンス至上主義の危険がここにある。世の中には万能薬は存在しない。自明性を前提として迫るほどに危険なものはない。世に言う専門家の言説を大衆が鵜呑みにするところから考えがたいほどの悲劇が繰り返されてきた歴史を忘れてはならない。

しかし、考えてみるならば、近代合理主義を足場とする思考様式はさほど根拠あるものではない。ドラッカー流に言えば、17世紀の個人的独断に発するマインド・コントロールのごときものにすぎない。そこでは、合理で認識できるもの以外は拒否され、「すでに知られたもの」だけが研究の対象として考えてしまう。それ以外の知られざる世界がはてしなく広がることに意識が及ぼなくなる。

他方で社会生態学の擁護者は、モダンを手段として活用しながらも、モダンの世界で不合理として切り捨てられた世界に新たな光を当てる。『ドラッカー入門 新版』より

※この情報はのp.281~の『ドラッカー入門 新版』「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。
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五月女 圭司

『人生を変えるドラッカー』を読んで「人生は変えられるよ!」と、神さまの声が聞こえた気がした57歳の会社員。己と向きあうには師匠がいる。私の師匠はドラッカー教授の「ことば」(お逢いしたことはありませんが…)。個人も組織も「地域貢献」が人生のテーマ。私のミッションは「人」と「ドラッカー」と「音楽」をつないで笑顔が絶えない社会を創るために日々まい進すること。

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