人生100年時代の先人:絵で見るドラッカーの人生【1996年】(1909〜2005年)


絵で見るで見るドラッカーの人生【1996年】

『挑戦の時』序文

(前略)

この対話は、中内さんからのイニシアチブで始まったものである。したがって、問題提起も中内さんから行われている。

私はここに、思考と洞察に導かれた質問の数々と、その後の対話を生産的なものにしてくれたコメントについて、中内さんに深く感謝を表したい。

1995年3月11日

カリフォルニア州クレアモントにて

 

ピーター・F・ドラッカー

『挑戦の時』あとがき

1995年1月17日火曜日、午前5時46分。

ドラッカーさんと私の往復書簡は、日本中が忘れることのできない、そして忘れてはならない、この瞬間をはさんで行われた。当日午前9時17分、ドラッカーさんからのファクシミリを受けとった。それが、巻末に掲載された一文であり、私が国内海外から震災の安否を尋ねられた最初のものとなるものであった。

このような細やかな気遣いが、手紙を交換するなかで、何度も感じられた。私の拙い質問に対して、真摯で温かい人柄を反映した丁寧な手紙をいただき、それに感激し夢中で返事を書いているうちに、次第にお互いの文書が長くなり、遂に刊行に際して二冊に分けざるをえなくなったほどである。

ドラッカーさんご自身も未発表の見解を披露するよい機会になった、喜んでいただいたが、聞き手としての私にとっては、またとない慧眼に次から次に触れる、感動の機会になった。心からドラッカーさんにお礼を申しあげたい。往復書簡で受けた感動は、必ず読書の方々にも伝わると信じている。

そして、受けた感動を行動に転化して欲しい。これが私たち二人の望みであり、本書刊行がめざすものである。バブル後遺症の深さ、円高の進展、そして阪神大震災の未曾有の被害と、日本の経済・社会には試練が続いている。そのなかで、一人でも多くの方々が元気を出し、閉塞状を脱して自らの力で立ちあがって行動を起こしてほしい。

そのためのヒントがこの本には溢れている。

けっして安直なノウハウではない。ドラッカーさんは人間および人間の営みについての洞察を読み手に提示したうえで、それらをどう解釈しどう生かすかを、読者一人ひとりの宿題にしている。その答えを出して行動に移すことができた人がエグゼクティブであり、それは年齢、性別、職業、組織規模、経歴等々には何の関係もないほど応用範囲が広い。

したがって、優しい文章ではあるが、内容は読み手に挑戦する責任を鋭く迫ってくる。本書でドラッカーさんから与えられた宿題に、一人でも多くの方々が、自分で考え、自分の答えを出されんことを願ってやまない。それが結果として、試練を乗り越えて21世紀の日本の経済・社会を再創造するうえでの、最善手となるにちがいない。(後略)

1995年3月

中内 功

『挑戦の時』より

自らの創生

(前略)あなたの質問は、一人ひとりの人間、とくに体力ではなく知識によって働いている人たいはどのようにして、成果をあげられるようになるかと聞いておられます。

そして、どのようにして、彼らが、変化のときを乗り越え、長期にわたり、そのキャリアを通じて、すなわちその人の人生を通じて、成果をあげ続けなければならないようになるかを聞いておられます。

この質問は、一人ひとりの人間についてのものです。したがって、お答えとしては、私自身の経験から始めることが適当であろうと思います。そこで、私の人生において、私自身を成果をあげ続けられるようにし、成長と変化を続けられるようにしてくれた教訓を私に与え、私が過去の囚人となることなく年を可能にしてくれた7つの経験からお話したいと思います。

『創生の時』より

初心者におすすめのドラッカーの本「ここから読むべき」その9『プロフェッショナルの条件』―ドラッカー教授の「人生を変えた7つの経験」

※この情報はドラッカー入門 新版』p.281~の「ドラッカー年譜」をもとに制作しています。より深い背景の理解には同書をお薦めします。

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五月女 圭司

『人生を変えるドラッカー』を読んで「人生は変えられるよ!」と、神さまの声が聞こえた気がした56歳会社員。己と向きあうには師匠がいる。私の師匠はドラッカー教授の「ことば」(お逢いしたことはありませんが…)。個人も組織も「地域貢献」が人生のテーマ。私のミッションは「人」と「ドラッカー」と「音楽」をつないで笑顔が絶えない社会を創るために日々まい進すること。

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