続・絵で見るドラッカーの人生(魂よ永遠に)【2009年】
継ぐ者はいない。しかし、本人がいる (『ドラッカー時代を超える言葉』)
2003年の4月から、私(上田惇生先生)は『週間ダイヤモンド』誌上で、「3分間ドラッカー」という連載をスタートしました(ウェブサイト「ダイヤモンド・オンライン」にてバックナンバーを公開中)。
ドラッカーの広大な世界の百科辞書が欲しいという読者の声を耳にし、著作からの引用について本人に相談したところ、問題ごとに焦点を絞って解説してほしいとのことでした。
連載第1回の見本原稿の英訳を見たドラッカーはとても喜び、こんな返事をくれました。
「私の書いたものと話したものすべて(anything and everything )をコラムほかあらゆるものに使用することについて、全面的な許可を与えます。私にとって名誉であり、誇りです。英訳されたコラムの第1回分に感動しました。たとえ短文であっても週一のコラムは大変です。身体に気をつけて下さい」
本書は、連載で生まれた300編以上の原稿から、160編を選んで加筆し、3つの大きなテーマ「個人と成果のあげ方」「組織とマネジメント」「社会とその変化」に沿って整理したものです。
実は2005年、「3分間ドラッカー」の連載が130回を迎えたときのことです。
ドラッカーを取材しているエリザベス・イーダスハイムさんから、彼女の新著の参考としてドラッカーとの往復書簡が欲しいとの依頼が来ました。「それはドラッカーさん次第だ」と答えると、「奥さんのドリス夫人が上田先生次第と言っています」と返してきたのです。覚悟を決めたのはそのときでした。
その数週間後、「ドラッカー学会」の設立に際してメッセージがいるのではないかというドラッカーからの航空便が、ものつくり大学から転送されてきました。大学はまだ夏休み中で、手紙は3週間遅れて届きました。もう何年も前から通信手段は航空便からFAXへと変っていたのに、なぜ・・・。
私は慌てて、「もちろんいる」とFAXしました。しかし、ドラッカーから返事がくることはありませんでした。最後に届いたのは、10月6日ドリス夫人からのもの。
「メッセージは無理と思います。身体は問題ないのですが書くことは無理でしょう。申し訳ありません」
そして、2005年11月11日。ドラッカーはクレアモントの自宅で、その生涯に幕を閉じました。
亡くなった11月11日は、彼の生涯を決定づけた第一次世界大戦終戦の日。そして13歳の少年時代、自らは行進役ではなく傍観者であることを知ったオーストラリア共和制移行5周年記念の日から82年後に迫っていた96歳の誕生日は、本人も大喜びしていた日本のドラッカー学会の設立予定日。
長い間、わからないことがあれば、何でもすぐに聞くことができました。もうそれはできません。
『週間ダイヤモンド』でのコラム連載は、その後2010年10月16日号まで続きました。その間、私はいつも「もしドラッカー本人ならば、何と言うだろうか」ばかりを考えて執筆していました。
本書で私は、「ドラッカーの後にドラッカーを継ぐ者はいない。しかし、ドラッカー本人がいる」と書きました。その言葉とおり、著作はますます読まれ、影響力はますます増しています。いつでもつい彼が健在であるかのような錯覚に陥り、自宅のFAXにはあおの聞き慣れた音とともに、ドラッカーからの手紙が届いているような気がするのです。
ドラッカー『P.F.ドラッカー完全ブックガイド』より
五月女 圭司
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