ドラッカー40歳の時のお話です。
この頃、ドラッカーは既にニューヨーク大学でマネジメントの先生になっていました。
そして、やはり当時アメリカに移り住んでいたドラッカーのお父さんと一緒に、お父さんの古い友人である高名な経済学者シュンペーターを訪れました。
病気のお見舞いでした。
ひとしきり昔話に花を咲かせた後、ドラッカーのお父さんがシュンペーターに対して
「今でも、『自分は何によって憶えられたいか』、考えることがあるか?」
と聞きました。これを聞かれたシュンペーターも、傍で話を聞いていたドラッカーも大笑いしたそうです。
なぜなら、この「何によって憶えられたいか」という問いに対して、若いころのシュンペーターが
「ヨーロッパ一の美人を愛人とし、ヨーロッパ一の馬術家として、そしておそらくは世界一の経済学者として覚えられたい」
と言っていたことで有名だったからです。この「何によって憶えられたいか」という問いは、当時のウィーン界隈ではポピュラーな問いかけだったらしく、ドラッカーも中学生くらいの時に教室で学校のフリーグラー牧師という先生から問いかけられています。ただ、中学生でこの問いに応えられる人はいなくて、フリーグラー牧師も
「今、答えらえるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」
と言ったそうです。
さて、66歳で病に臥せっていたシュンペーターはこう答えました。
「その質問は今でも私には大切だ。でも、昔とは考えが変わった。今は一人でも多くの優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として知られたいと思っている」
「私も本や理論で名を残すだけでは満足できない歳になった。人を変えることができなかったら、何も変えたことにはならないから」
この訪問の5日後に、シュンペーターは無くなりました。
ドラッカーはこのエピソードから3つのことを学んだと言っています。
(1)「何によって覚えられたいか」を自問しなければならない
(2)問いに対する答えは、成長につれて変わっていかなければならない
(3)本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人に変えること
この「何によって覚えられたいか」という問いかけは、コヴィーの7つの習慣の二つ目の習慣に通じるところがあると思います。
上田惇生先生の「何によって憶えられたいか」
私自身が、「何によって憶えられたいか」という、この問いかけに初めて出会ったのは35歳くらいのことです。
正直申し上げて、私の場合は、この問いを考えると、いつも暗い気持ちになりました。
私は31歳の時に父親が急になくなってしまい、父が社長をしていた会社を継ぎました。以来15年間、ドラッカーを学んだりしながら、何とか潰さずにやってきましたが、自分ではあまり向いている仕事だとは思っていません。
どちらかと言うと会社の経営より、こうやってドラッカーのことを話している方が楽しいです。
だから会社の社長として期待されていることと、個人的な「何によって憶えられたいか」という事との整合性を取るのが難しくて辛かったのです。
実は、このことについて、ある講演会で上田惇生先生に質問したことがあります。
自分はこういう理由で「何によって覚えられたいか」を考えるのが辛いのですが、上田先生の「何によって覚えられたいか」は何ですか?という質問でした。
すると上田先生は、意外なことを言われました。
「僕はこの『何によって憶えられたいか』を考えると、気持ちが楽になる」と言うんです。
「これを考えるときは、得意なことだけを考えれば良い。自分にできないことは削っていけば良いのだ」と。
上田先生のこの言葉で、私は随分と救われました。
会社の社長としてだろうが、一個人としてだろうが、得意でないことや出来ないことで卓越した業績や成果を上げることが出来るわけがありません。
成果は常に、自らの強みによってしか上げることができません。
もちろん、現実の仕事では苦手なことも、それなりに克服してやらなければならないこともあります。
しかし、「何によって憶えられたいか」を考える時は、それらのことは削って良いのです。
削って、削っていって最後に残ったものが、卓越した成果を上げ、人から憶えられるに足る自分なのです。
だからドラッカーはこの問いを「自己刷新の問い」と言ったのだと思います。
ドラッカーは
「成果を上げ続け、成長と自己変革を続けるには、自らの啓発と配属には自らが責任をもつこと」
が前提であると言っています。
組織で働いていると自分の配属というのはなかなか自由にはなりませんから、それについて自分で責任を持つというのは少し無理がある様に思えます。
しかし、それでも、知識労働者として成果を上げ続けていくためには、自分の配属に自分で責任を持つ必要があるとドラッカーは言うのです。
人生100年時代ということで、LifeShiftという本がベストセラーになりました。
昔は学校を卒業したら一つの会社に就職して定年まで勤め、定年後は年金暮らし、という3ステージで人生が終わりました。人生100年時代となると、そうはいかない。定年後も働かなければならない。そうなってくると、定年まで勤めあげるというよりは、どこかでジョブチェンジした方が生き生きと働き続けられる。そういう人生設計をする必要がある、という事がLifeShiftという本には書かれています。
つまり自分の配属に責任を持つということです。
人生の途中で仕事が変わることが当たり前になってくると、それを状況に流されて行うのではなく主体的に行っていくためには、自らの人生の軸が必要になってきます。
その軸を持つための問いが「何によって憶えられたいか」なのです。
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