【実践するマネジメント読書会® 誕生秘話】 7.「読書会」が本になる―『実践するドラッカー』というタイトルに…驚!


あるキッカケから私はドラッカー教授に関連する著作の執筆にとりかかることになりました。2008~2009年の二年間、そのプロジェクトは一進一退で進んでいました。その間、ダイヤモンド社では2006年から『経営者の条件』に始まるエターナル版を刊行していました。

出版に関してはド素人。

進め方も作法も知らない…

思考編と行動編のコンセプトは読書会でのやり取りを誌上で再現すること。実はこの2冊、「マネジメントの体系」をほとんど意識していません。一問一答に近いのは当時の読書会の様子を再現しようとしたからです。

作業中、勝手に原稿につけていたタイトルは『プロフェッショナルの習慣』。当時も今も売れている『プロフェッショナルの条件』にあやかって…下心が見え見えです(笑)

さて私たちはこの頃、ドラッカーの「実践」を掲げて様々なトライアルをしていました。

たとえばファイブ・ストレングス・ファインダーをきっかけとして「強み」に意識を向けること。当時、3年程度で300名くらいの診断結果が私たちに集まりました。

またマンダラ手帳を使ってのドラッカー流の時間管理の研究会を立ち上げていました。

こうしてはじめての「実践例」が思考編と行動編に掲載されました。強みの活用(私の強み公開)と時間管理に関してです。私以外ではプルデンシャル生命の高塚伸志氏が登場しました。

 

このような姿勢を反映してでしょうか、私の目の前に現れたタイトルは『実践するドラッカー』でした。

一番驚いたのは私自身です。

あとで知ることになるのですが、タイトルを決めるのは出版社、それも営業の力が強いということ。

著者の影響力はほぼゼロだということです。

 

タイトルに「ドラッカー」とある。

まさか私がドラッカー教授の名前を冠した著作を出せるなんて…!

 

問いの威力に驚く

しかし、その驚きは私の中でさらに増幅されていたのです。

出版に先だつ2006年年初、ドラッカー教授が亡くなって2週間後、私はドラッカー教授の問い「何によって憶えられたいか」の答えの最終版を手にしていました。最終版に至るまで約2年かかりました。

 

「ドラッカー思想を日本一やさしくかつ実践的に伝えた人として憶えられたい」

 

その日から私は毎朝起きると直ぐに、手帳にこのミッションを心に刻み込むように書いていたのです。5年後、「実践」と「ドラッカー」の言葉は私の著作名となって私の目の前に出現したのです。 

 

鳥肌が立つほど驚きました。

 

「ドラッカー思想を日本一やさしくかつ実践的に伝えた人として憶えられたい」と書いたとき、出版の話も、上田先生から電話のなかったのですから…。

 

すべては読書会が作った縁から生まれました。「実ドラ」は読書会という親から産み落とされた子なのです。

 

<付録>もう一つ驚くことが起こりました。

「何によって憶えられたいか」に対する答えを2007年に一か所だけ変更しました。 

 

「日本一」を「世界一」に書き換えたのです。

 

数日後、英語で夢を見たのには驚きました。

人生において最初で最後の出来事でした。

なにせ英語を話すことができないのですから…。

 

人間の潜在意識はときに凄いことを起こします。

縁を引き寄せつなぐのですから。

 

ちなみに『実ドラ』シリーズの一部は、台湾と中国本土、韓国で翻訳されて出版されています。

ドラッカー教授の問いの持つ力、畏るべし!

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佐藤 等
<実践するマネジメント読書会>創始者。『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズ5冊の著者。 ドラッカー学会理事。 マネジメント会計を提唱する佐藤等公認会計士事務所所長/公認会計士・税理士。 ナレッジプラザ創設メンバーにして、ビジネス塾・塾長。 Dサポート㈱代表取締役会長。 ドラッカー教授の教えを広めるため、各地でドラッカーの著作を用いた読書会を開催している。 公認ファシリテーターの育成にも尽力し、全国に約70名のファシリテーターを送り出した。 誰もが成果をあげながら生き生きと生きることができる世の中を実現するため、全国に読書会を設置するため活動中。 編著『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズは、20万部のベストセラー。他に日経BP社から『ドラッカーを読んだら会社が変わった』がある。 自身のブログ<ドラッカリアン参上>は連続投稿4000日以上を達成して続伸中

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