孤独の淵に沈むイチロー(その1)。
「チーム優先か、個人優先か」-それは、イチローの野球観に深く根ざしているといえましょう。
その一端は、引退会見にも表れていました。
――イチローさんが愛を貫いてきた野球。その魅力とは?
「団体競技なんですけど、個人競技だというところですかね。野球が面白いところだと思います。チームが勝てばそれでいいかというと、全然そんなことないですよね。個人としても結果を残さないと生きていくことはできないですよね。本来はチームとして勝っていれば、チームとしてのクオリティが高いはずなので、それでいいんじゃないかという考えもできるかもしれないですけど、決してそうではない。その厳しさが面白いところかなと。面白いというか、魅力であることは間違いないですね。」
最後まで個人とチームを分けることを強く意識していたイチローがここにいます。普通に考えれば野球は団体競技です。他人よりも個人の意識を高くもっていたことが孤独感の原因であることは間違いありません。
『野村のイチロー論』を書いた野村克也氏は、同書の中で「チームより自分優先」「チームのためにという意識の欠如」と強烈に批判します。
このような批判がでるのも、敗戦続きのチーム事情が大いに関係していました。
引退会見で言及した「勝利」に関する言葉です。
「1年目にチームは116勝して、その次の2年間も93勝して、勝つのってそんなに難しいことじゃないなってその3年は思っていたんですけど、大変なことです。勝利するのは」
渡米から3年のチームの好調期(1,3,2位)、その後の低迷期(その後の9年で最下位が7回)。
イチローは、負けるることに慣れたチームの中で10年連続200本安打という偉業を成し遂げます。こうしていつしか野球の個人競技的側面を考える習慣が強化されていったのではないでしょうか。
2006年の新春、孤独感を深めるイチローに一つのキッカケがやってきます。
ワールド・ベースボール・クラシックという舞台
世界の野球強豪16か国が集まり世界一を競う場、第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が2006年3月3日に幕を開けました。
前年の11月21日夜、イチローは王監督に電話してWBCへの参加の意思を伝えていました。おそらくはチームでの現状を打破すべく新しい挑戦に身を投じたのでしょう。
「この時期にWBCがあったというのは運命ですし、出ると決めていたもの僕の宿命なんです」とイチロー。
王監督の下、32歳になっていたイチローはチームの牽引役を期待されていました。「目指すは世界一」「王監督に恥をかかせられない」。自身も覚悟をもって臨みました。
イチローは初めてチームで何かを成し遂げる難しさに直面していました。
「難しかったのは一つだけですよ。見た目にもチームの中心になるということは今まで意識して僕がしてこなかったことでしたから、それは新しいチャレンジでした」。
「見た目にもチームの中心になるということは今まで意識して僕がしてこなかったこと」-マリナーズで期待されて行ってこなかったことへの自覚がイチローにはあったのです。WBCはそのチャレンジに試練を与えます。
日本はこの大会で苦戦に次ぐ苦戦ののち奇跡的に優勝を勝ち取る。
第1ラウンドA組を韓国に負けて2位通過と苦戦しながら、渡米。第2ラウンドでも韓国に敗れ、まさかの1勝2敗で敗退濃厚のとき奇跡が起こります。アメリカがメキシコに負け、2位以下が1勝2敗で並び得失点差で2位通過。
決勝ラウンドでの準決勝でまたも韓国と激突。3度目の正直で0-6で完封勝ち。決勝でキューバを下し優勝(10-6)。
イチローが変わった?
3月3日から20日のわずか18日間、全8試合を戦ううちにイチローのなかに大きな変化が芽生えていました。
「僕の中ではベストを尽くしますと言って結果的にそうなったという世界一ではなく、獲りにいって獲った世界一ですから…」。
この間、イチローは変わったといわれました。イチローはチームを鼓舞するため、この大会中、感情のおもむくままに喜怒哀楽を表現していました。その理由を語ります。
「この試合に勝った、負けたということをこれほど重く考えさせられたことはありませんでしたから。それがつまり、日の丸の重さだと思いますし、それだけ重い負けを味わったからこそ、そうやって(喜怒哀楽を)表現しようとする気持ちになれたのかもしれません。もちろん、意図してやっていたわけではないですよ。自然なものですけど、日の丸を背負ったことで、それを抑えられなかった僕がいたということはあったでしょうね。内側に持っていたものをマリナーズのユニフォームを着ているときは抑えられたけれど、ジャパンのユニフォームでは抑えられなかった。なにしろ、王監督に恥をかかせられないとまで言ってしまいましたから(笑)、そのプレッシャーは大変なものでしたよ」。
イチローはチームが勝つことへのこだわりと負ける悔しさをWBCで痛感しました。特に韓国戦の2敗については、「野球人生最大の屈辱」とまで表現しました。
2006年の3月、イチローの心に新たな一燈が灯されたのです。それをなしえたのは日の丸を背負う責任と誇りだったといえましょう。
さてイチローは、このとき何番目の石工だったのでしょうか(その1参照)。
ドラッカー教授のマネジメントの言葉
「仕事において成果をあげるには、仕事に責任をもてなければならない」
『マネジメント<上>』
<参考図書>
『夢をつかむ イチロー262のメッセージ』ぴあ
『イチロー・インタヴューズ』文春新書
『野村のイチロー論』幻冬『野村のイチロー論』幻冬
『イチロー会見全文』GOMA BOOK’S
『イチロー戦記1992-2019』Nunber976
『イチロー引退惜別』週間ベースボール増刊号
『ICHIRO MLB全軌跡2001⁻2019』スラッガー5月号増刊
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