石川県加賀市在住の土田 繁美(つちだしげみ)さんは、開業75年を誇る土田歯科医院を営み、患者との対等な関係を目指す歯科医師。
今回みなさんには、ドラッカーのマネジメントを学び続ける土田さんの歯科医院で起こった予期せぬ出来事と、マネジメント理論を活かした実践的な解決方法をご紹介します。
歯科医院に訪れた若い女性。その姿に驚愕……
春のあるの日のこと。土田さんの歯科医院を一人の女性が訪れました。
歳は20代半ば。診てみると、口の中はすぐにでも治療を始めたほうがいいほど非常に悪い状態でした。
しかしそれ以上に、土田さんはその女性自身の姿に驚きます。
「人生を前向きに生きるのが苦しそうな、とても荒んでいるようにみえました」
どうやら、女性は幼い頃経験した歯科医院での治療が原因で「歯科恐怖症」に陥っていたようです。
これまで土田さんは、歯科恐怖症の方に対しては慎重に言葉を選び、「大変でしたね」と寄り添うスタイルで関わってきました。
しかし今回訪れた女性のあまりの姿に、土田さんは思わず語気を強めてこう言いました。
「わたしは、あなたの虫歯を治したいのではありません。あなたに、自分らしく輝ける人生をおくってほしい」
歯科治療が恐ろしくて前向きになれない自分に、まさかそんな言葉を投げられるとも思っていなかった女性は、驚いた表情で土田さんを見つめます。
その女性の動揺をみた土田さんは、激しく後悔しました。
「初めて訪れて、しかも歯科恐怖症の人なのに、こんなに強く言ってしまった。もう二度と治療には来ないかもしれない」
思いもよらない出来事
しかしその女性は、土田さんの予想を超える反応をみせてくれました。なんと次回の予約を取り、「ここで人生を変える」とみずから宣言したのです。
それから土田さんとその女性は、二人三脚で治療をスタート。
早速1ヶ月後には、スタッフが「変わった!」と言うほどに表情が見違えました。目の輝きや、雰囲気も大きく様変わりし、まるで別人のように。
その女性は、現在も治療のために通院中とのことで、これからますます人生が明るく開けてくるのではと土田さんも期待しています。
では一体、どうして歯科恐怖症の女性は勇気を出して行動を起こせるようになったのでしょうか。
実はそこには、土田さんが日ごろから学んでいたドラッカーのマネジメント哲学に答えがあったのです。
組織の外に目を向ける
「すべての成果は外にある」
『経営者の条件』
ドラッカーは、組織の“中”に成果はなく、組織の“外”にこそ成果があると考えました。
組織の中にあるのは、財(商品)やサービスです。
では、組織の外にあるのは……?ずばり「顧客」です。
つまり、組織の外に存在する「顧客」が、財(商品)やサービスを消費して初めて「成果」が生まれるというわけですね。
一見当たり前のようにも思えますが、果たして、どれだけの組織がこの事実を意識できているでしょうか。
土田さんの歯科医院にとって、「成果」とは何なのでしょうか。
「私たちの成果は、患者さんが、人生の選択と決断を行い『自分で決める』ことを通して、本当の意味でその人らしい人生をおくれるようになることです」
歯科医院には、治療に対して恐怖心を持つ患者さんが多く訪れるのだとか。
子どもの頃のトラウマが原因で受診できず、今回紹介したあの女性のように、歯のケアが疎かになってしまい、痛みに耐えかねて受診する頃には、取返しのつかない状態になってしまうことも決して少なくないようです。
「お口の中の健康を保つことは、その方の人生を左右すると思います」
生きている限り、ずっと使い続ける歯。
食べ物を美味しく味わうことは、わたしたちに欠かせない人生の楽しみの一つです。
歯の痛みを抱え続けて生きることは、様々なストレスや不安をもたらし、人生に暗い影を落とします。歯の健康はすなわち人生の豊かさそのものなのです。
「歯科恐怖症の方の多くは『痛い部分だけ治してください』と治療に来られるのですが、わたしは痛みを治す処置をすればそれで解決するとは思っていません。対症的に治療をしても、また同じことになるかもしれない。歯医者を変えても、その人の人生は変わらない。『20代でこの状態なら、あなたの人生はこのままだったら大変なことになるよ。これからの人生どうするの』と問わずにはいられないのです」
土田さんが見ているのは、患者さんが自分らしく人生を歩む姿でした。
「患者さんにも時間の限りがありますが、わたしがサポートできる時間も無限ではありません。より前向きに人生を歩みたい方を、私自身もサポートしていきたいです」
自分の人生を前向きにより良くしようと治療に来られる人もいる一方で、幼い頃の恐怖心を今も引きずり、自分の口の中の悲惨な状況を、自分事として向き合えない方もいるといいます。
「歯科恐怖症となってしまったことには、歯科医療に携わる一人として責任を感じます。ですが、今現在、お口の中が悪い状態になっているなら、患者さんと医師の両者に責任があると思います。医師は専門家として治療を行いますが、患者さんの側にも、自分でできる最大の努力をする責任があると思うのです。歯の健康は医師任せでは実現できません」
人生の自己決定をサポートする
医師と患者が対等で自立した関係にあることをベースにしている土田さんは、歯の治療に限らず、自分の人生における「選択」と「決断」は自分自身で行うものだと考えています。
「今の時代、無理やりに歯を抜く医師はいません。患者さんが、どんな治療を受けるのか、医師からの提案を自分で『選択』して『決断する』ことがスタートだと思います」
土田さんは、歯科治療を通して、患者さんの人生の自己決定を支援しているのですね。自分の人生を自ら決定することを放棄して欲しくないという想い――それは、自らをマネジメントすることに通じているのではないでしょうか。
「25歳で治療を始めた(冒頭の)彼女には、50歳くらいで『良くなったね』と言えるくらいになると思うのだけど、どうかな?と話しています。25年かけて今の状態になったのだから、本当の意味で良くなる、その人がその人らしく自分の意思でより良い人生を歩めるようになるには、同じくらい時間がかかることだと説明しています。50歳の自分のために、今の自分が努力する、という認識です」
25歳の彼女が土田さんの「顧客」であるなら、50歳の彼女は「顧客の顧客」といえます。
25歳の患者さんは今、「50歳の自分」のために土田さんのサポートを得て、みずから治療を選び、新たな習慣を生活に取り入れています。その積み重ねが、やがて自身の変化を自覚できるほどの変容につながっていくのでしょう。
治療を通して自己決定する力を身につけていく患者さんに、土田さんは「聴く」ことを通じて患者さんの人生の自己決定を支援し、患者さんが望む「その人らしい人生」の実現を歯科技術でサポートしています。
「わたしたちが行っているのは『聴く』ことです。これに尽きると思います。治療では、毎回必ず、患者さんに『聴く』時間をとります。今の歯の状況はどうか、今日はどんな気分か、前回から気持ちの変化はどうかなど、すべての患者さんに毎回丁寧に聴きます。その日、歯を抜く予定でも、不安を感じている患者さんを『大丈夫ですよ』と安心させることはしません。感じている不安や本当はどうしたいかを『聴く』だけです。鏡となり、その時の患者さんの本当の気持ちを映し出すようにしています。もちろん、専門家として客観的な意見は述べますが、『抜いた方がいいよ』というのは、あくまで私の思いでしかありません。自分の歯をどうしたいのかという答えは患者さんの中にあり、最終的に決めるのもまた患者さんなのです」
75周年を迎えた土田歯科医院は、土田さんご夫婦の代となり20年ほどが経ちます。
「引き継いだ当初、幼児で通っていた患者さんも20代となりました。進学や就職で県外に生活の拠点を移した今も、メンテナンスで通ってくれています」
土田さんが目指すのは、「その人がその人なりに、自分らしい人生を歩めるようになること。統合されて、本当の意味でその人になること」
土田さんのマネジメントの実践はこれからも続きます。
おわりに
歯科恐怖症の20代女性が、勇気を出して「自分を変えたい」と決意できたのは、日ごろからドラッカーを学び続ける土田さんが、ドラッカーのいう「成果は外にある」という教えを実践できたからだといっても過言ではないでしょう。
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