数年前のことになりますが『「経済人」の終わり』(1939)に注目が集まった時期があります。読まれた理由は、そのときの時代の雰囲気と同書が書かれた頃の状況と似ているからです。
はたして、どこが似ていたのでしょうか。
目次
読み方1:人類が犯した誤りの過程を読む
リーマンショック(2008)後、世界各国の不況が長期化する中で人々の間に不安感が蔓延していたからです。『「経済人」の終わり』では、この人々の状況を「大衆の絶望」と表現しました。
そんな時は、世の中がファシズム全体主義の方向に進みやすく、専制政治や独裁者が登場しやすい環境になります。自分の言うことだけが正しいと主張する世界の指導者たちの姿(ドラッカー教授は「無謬の存在」といいます)を見るにつけ、今もその危機のさなかにあると感じざるを得ません。
同書が読まれたのは、そのような者の登場を許してはならないという切実な理由からなのです。
現代の為政者たちはいいます。
経済がうまくいっているから良いだろうと。
1929年の世界恐慌後、政権をとったナチスドイツは軍事主義を進める過程で事実上完全雇用を実現します。大衆は、不安(絶望)から逃れるために、つまり安定のために自由を手放しました。
同書は、人類がたどった自由を手放すという過ちの過程を明らかにしています。
第一次世界大戦、世界恐慌などで絶望した大衆が(第2章「大衆の絶望」)、受け入れたのがファシズム全体主義でした(第3章「魔物たちの再来」)。希望の光に見えたマルクス社会主義の失敗がダメ押しとなりました。
個人の自由は失われ、個人のすべてが全体に従属すべきであるとの考えの台頭です。政治は専制化し、社会から自由がなくなります。ドラッカー教授は、「大衆の絶望」(第2章)が、ファシズム全体主義の原因だと喝破します。ナチスの出現はある意味必然だったのです。
現代社会にも潜む「魔物たち」を再び招来しないためにも人類が自由を手放した過程を忘れてはなりません。警鐘の書として読み続けていきましょう。
読み方2:政治学者ドラッカー、自由を守るための方法を探す旅が始まる
「本書は政治の書である」
同書「まえがき」の冒頭の言葉です。処女作でドラッカー教授は政治学者としてデビューしました。
人類が自由を手放すという過ちの過程を描写<読み方1>した同書には、答えがありません。教授は当時の状況を次のように述べています。
「1939年当時、できることは、祈り、望むことだけだった。リーダーシップの欠落、信念の欠如、そして価値観と原則をもつ人物の不在、それが当時の現実だった」『「経済人」の終わり』1969年「まえがき」
同書は、ファシズム全体主義を解釈し、説明しようとしています。目的は、自由に対する挑戦を跳ね除け、自由を守ることにあります。ドラッカー教授の言葉です。
「本書には明確な政治目的がある。自由を脅かす専制に対抗し、自由を守る意思を固めることである」『「経済人」の終わり』1939年「まえがき」
自由はヨーロッパ伝統の概念です。明治以降、この概念を輸入した日本人には伝わりにくいものです。西洋の自由の概念を学ぶ入り口の一冊として読むことをお薦めします。
「自由とは、その定義からして、必然的に個人ないし少数派が他と異なる行動をとることを禁じられることのない権利である」『「経済人」の終わり』1939年p.77
ドラッカー教授は、同書発刊後30年に新版を世に出すに当たって若い世代にメッセージを送りました。
「今日の若者が、彼ら理想主義、世界の惨状に対する純粋な悩み、よりよい明日への希求の念、30年前の人たちのようにファシズム全体主義の絶望に向けてではなく、建設的な行動に向けて解き放つうえで役に立つことを願っている」『「経済人」の終わり』1969年版「まえがき」
ヒトラーの再来を防ぐのは、私たちの姿勢と行動以外にないのです。同書を端緒にドラッカー教授の自由を守るための方法を探索する長い旅が始まります。
その答えにたどりつくまで30年以上の時を要します。ここでは、その一端のみ紹介しておきたいと思います。
「自立した組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策である。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、マネジメントの力である。成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである」『マネジメント』(1973)
ドラッカー教授の著作を読むということは、自由を守る長い旅を追体験することでもあります。楽しみながらその旅を伴走して下さい。
読み方3:社会生態学者誕生―人間の環境である社会を理解する
ドラッカー教授は、社会とは「特異な動物たる人間の環境」と考えています。
ドラッカー教授は、ファシズム全体主義の台頭という社会現象を「社会の一つの動き」ととらえました。歴史学者などは、社会現象を事件として扱います。思想家は、イズムと関連づけて語ろうとします。これに対してドラッカー教授は、第三の視座を提供しました。
教授は、社会という人間の環境を理解しようとしました。
「政治の世界と社会に偶然や奇跡は存在しない。政治と社会の動きには必ず何らかの原因が存在する。社会の基盤を脅かす革命もまた、社会の基盤における基本的な変化に起因しているはずである。人間の本性、社会の特徴、および一人ひとりの人間の社会における位置と役割についての認識の変化に起因しているはずである」『「経済人」の終わり』1995年版「まえがき」
時代の変わり目は、旧い時代の制度や習慣を纏いながら、その時代に生きる人々は新しい思考と行動を始めます。旧くなった制度や習慣は、異臭を放ちだします。制度や習慣という一種の形態と新しい現実の間には、一種の緊張が生まれます。
第一次世界大戦(1919)もしくは世界恐慌(1929)は、時代の変わり目を画する社会現象です。しかし、それは一つのキッカケにすぎません。それ以前に時代は確実に変化していたのです。つまり、ドラッカー教授はブルジョア資本主義もマルクス社会主義も同じ穴の貉(むじな)であるとし、どちらも「経済人」あると断じました。彼らの時代が終わったことで生まれた空隙をファシズム全体主義という魔物に利用されました。
これが当時のドラッカー教授の変動する社会の理解でした。教授が用いた「人間の環境たる社会を分析する方法」は、主に5つです。すなわち、shifts分析(転換の分析)、trends分析(潮流の分析)、upheavals分析(変動の分析)、strains分析(緊張の分析)、stresses分析(圧力の分析)です。
この説明は別の機会にします。のちに社会生態学と自ら名づけた実学的領域のアプローチの仕方を知るために相応しい一冊です。ドラッカー教授が社会の動きをどのように読み解いたかを意識して読んで見ましょう。
読み方4:ドラッカー教授が考える宗教の役割を読み解く
ドラッカー教授の宗教(主にキリスト教)に関する言及は少ないわけではありませんが、まとまった記述は稀です。
『「経済人」の終わり』には、第4章「キリスト教の失敗」があります。教授はここで、社会的機関としての教会の役割に期待を寄せています。唯物的概念である「経済人」の時代が終わったとき、新しい社会の基盤を提供することを期待したのです。すなわち絶望した大衆は、魔物が住む世界(戦争、大恐慌)で、一人孤独に生きていくことはできないからです。
しかし、その期待に反してキリスト教は、一人ひとりの人間に対して、私的な宗教として私的な避難場所を提供したにすぎなかったのです。彼らは既存の制度の中にあって革新的であることができませんでした。
この章には、ドラッカー教授に大きな影響を与えた哲学者キルケゴールと宗教に関する言及があります。編集者でさえまだ名前の読み方が解らなかったといいます。まだ世界ではその名をほとんど知られていない時代の記述として注目されます。
宗教を巡る私的な役割と社会的な役割というユニークな視点を感じながら読んでみましょう。
『「経済人」の終わり』は、ドラッカー教授29歳の作品です。同書の舞台はヨーロッパ。異なる土地の異なる時代の著作ですが得るものの多い一冊です。
ドラッカー教授は、「マネジメントは現代のリベラルアーツ」だといいます。その理由は、この連載で明らかにしていきたいと思います。「読み方2:自由を守るための方法を探す旅が始まる」でその一端が明らかになっています。
今日は、そのスタートラインとして処女作を紹介しました。次回は、『産業人の未来』(1942)の読み方です。
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