『ポスト資本主義社会』(原題:POST-CAPITALISM SOCIETY)は、1993年に書かれたピーター・F・ドラッカーの著作である。
翻訳者の上田氏は、『ポスト資本主義社会』を「読んでおかなければならない本というものがある。本書はまさにそのような本である」といった。
さて本書は3つの観点「社会」「政治」「知識」からポスト資本主義社会の姿――すなわち冷戦崩壊後の世界――を論じている。結論からいうと、ポスト資本主義社会の正体は知識が価値を生み出す社会のことである。
知識とは何なのか? 本書は一貫してこのテーマについて論じている。1993年当時のドラッカーには、現代が、そして未来がどう映っているのかを考えながら読むと非常に面白い。
最終章『教養ある人間』では、めぐりめぐって、これからの社会の中心はあくまで「人」であると喝破するところに、ある種の痛快さがある。
そして本書の最大の面白さは、その先見性と普遍性である。とても90年代の議論とは思えないほど鋭い切り口で、20世紀末以降の社会について論じている。
ドラッカーは、誰も未来など予言できないという。なぜなら、世の中の「意味」や「価値」の変化が誰にも予測できないからである。
それでも一読者からいわせてもらえば、ドラッカーの議論は、20年、30年という長い射程を見事に捉えており、AI発達の著しい現代でわれわれがどうあるべきかを、様々なかたちで示唆してくれている。
これほどまでに議論が鮮やかなのは、ドラッカーが「歴史」(過去)をよく学ぶ人だったからなのかもしれない。ドラッカーは歴史を参照しながら、目に見える現象に囚われることなく、その現象の奥底に隠れている本質をあぶり出そうとする。
現象は時代ごとのカラーがあり、一見違ってみえるかもしれない。それが一時的な問題なのか、はたまた根本的に何かを変えてしまう大きな変化なのかを見極めるために、ドラッカーは過去を学ぶのだ。
『ポスト資本主義社会』は全部で3部構成になっている。以下に、それぞれの要約を整理した。本書を手に取る前に、予習として使っていただければ幸いである。
- 組織経営に関心がある人(おすすめ:第Ⅰ部と第Ⅲ部)
- 現代政治のあり方に疑問がある人(おすすめ:第Ⅱ部)
- 経済政策に関心がある人(おすすめ:第Ⅱ部)
- 教育に関心がある人(おすすめ:第Ⅲ部)
- AIとの向き合い方に悩んでいる人(おすすめ:第Ⅰ部と第Ⅲ部)
目次
『ポスト資本主義社会』の要約(全3部)
第Ⅰ部:社会
ここでは、現代社会とは何なのかというテーマが展開されている。キーワードは「知識」と「組織」である。
①ポスト資本主義社会=知識が価値をもたらす社会
20世紀末、ソ連の崩壊によって、資本主義VS社会主義という二項対立の世界が終着を迎えた。これから到来するのは「ポスト資本主義社会」である。
ポスト資本主義社会は、「知識」が経済の重要資源となる。とくに「専門知識」が社会の重心となる。
あらゆる先進国にとって、知識の獲得こそ最大の投資である。知識こそ、競争力の決定的な要因となる。だが、知識は安く手に入らない。
知識は「生産性」と「イノベーション」によって価値を創造することができる。組織で働く者はみな、成果を生み出すためにどんな知識を応用すればよいのかを考えなくてはならない。
知識で価値を創造するためには、「知識の応用とその働きに責任を持つ者」が不可欠である。この役割を「マネジメント」と呼ぶ。
②知識で価値創造する組織の条件
組織は道具である。他のあらゆる道具と同じように、組織もまた専門化することによって、自らの目的遂行能力を高める。(中略)明確かつ焦点の定まった共通の使命だけが、組織を一体とし、成果をあげさせる。
(『ポスト資本主義社会』p. 72)
現代の組織は、知識の専門家集団である。知識を生かすも殺すも、組織の目的(使命)次第である。
したがって、現代の組織は【ボス―部下】のような上下関係の構造ではなく、みなが僚友のチームでなければならない。
ただし、現代の組織にはリーダーが必要である。リーダーは、目的(使命)に焦点を合わせた意思決定を行い、戦略を定め、あげるべき成果を言語化し、チームに示すことができる人間のことである。
最後に、組織で働く者はみな、自分の成果に責任をもたなければならない。そこにボス・部下という区別はない。あらゆる人が、目標・貢献を徹底的に考える必要がある。知識を基盤とする現代は、「責任型組織」なのである。
彼ら働く人間が、他の誰よりも自らの仕事を知っている。そして、責任を負わされることによって、事実彼らは責任ある人間として行動する。われわれが論ずべきは責任と貢献である。責任なき権力は力ではない。責任なき権力は無責任である。
(『ポスト資本主義社会』p. 141)
したがって知識を基盤とする現代組織においては、全員をボスにすることではなく、全員を(社会に対する)貢献者にすることが、マネジメントの真の意味となる。
③知識の生産性をあげる条件
【チームの型の選択】
組織の仕事の仕方に応じて、適切なチームの型を選ばなければ生産性は低下する。
野球型チーム:各メンバーのポジションが決まっており、自分の役割に徹する。プレイ中にキャッチャーがピッチャーを助けることはできないように、直接助け合うことができない。反復的な仕事やルールが固定した仕事に向いている。
サッカー型チーム:各メンバーのポジションは決まっているが、戦略に応じて柔軟に動き、互いに調整し合う。目的・目標の設定にしたがって成果を出す場合に向いている。
テニスのダブルス型チーム:ドラッカーいわく最強のチーム。規模が小さく、ポジションも固定されていないが、互いの領域をカバーすることで、弱みを打消し強みを生かせる。一人あたりの仕事の総量をこえた成果を生み出す。ただしメンバーの自己規律が必要。
【雑務の廃棄】
多くの人が、雑務に追われて本当の仕事で成果を出せなくなっている。いま行っている仕事を見直す必要がある。まずは成果すなわち「本来の仕事は何か」をはっきりさせることである。アウトソーシングは、メンバーが本業に集中するために役立つ。
【継続学習&人に教えること】
知識労働者とサービス労働者の生産性の向上には、仕事と組織に継続学習を組み込むことが必要である。知識はその絶えざる変化のゆえに、知識労働者に対し継続学習を要求する。(中略)しかも、生産性向上のための最善の方法は、人に教えさせることである。知識社会において生産性の向上を図るには、組織そのものが学ぶ組織、かつ教える組織とならなければならない。
(『ポスト資本主義社会』pp. 117-8)
継続学習は、学校教育においても同様のことがいえる。学校では、基礎教育は大前提として、継続学習の意味と大切さを伝える仕組みが重要となる。
【意味ある変化のために知識を使う】
アルベルト・セント=ジェルジという化学者は、胃腸内のガスについて研究しようと考えていた。ところがある教授から「確かに面白いが、そのガスで死んだ者はいない。業績をあげたいのなら、意味ある変化をもたらす研究をしなさい」とアドバイスされた。そこで彼は基礎研究に取り組み、ノーベル賞を受賞する功績を残すことができた。
第Ⅱ部:政府
この章では、ケインズ主義の失敗と副産物として現れた「メガステイト」論を中心に展開される。ポスト資本主義社会における政府のあり方を考えるべく、20世紀の「国民国家」がどのような変化を遂げたのか、批評をまじえて論じている。
①世界は「ばらまき国家」となった
第二次世界大戦以降、各国では市場経済に政府介入するケインズ主義的な政策が行われたが、その結果、「福祉」「経済」「租税」の様々な側面で、政府介入ありきの「巨大国家」(メガスイテイト)と化していった。
メガステイトは予算を「歳出」からスタートする。そのため徴税に節度がなくなり、歳出それ自体が“票を買う”ための手段となり下がってしまう。これをドラッカーは「租税国家」「ばらまき国家」と揶揄した。
……ばらまき国家は自由社会の基盤を侵食する。国民の金で票を買うことは、市民性の概念の否定である。(中略)ばらまき国家が、代議制による政府という民主主義の基盤そのものを侵食しつつあることは、投票率の着実な低下が示している。
(『ポスト資本主義社会』p. 171)
これから政府は、真の意味で再建が迫られる。再建には「戦略」が不可欠である。「廃棄」をともなう戦略が必要である。うまくいかなかったものを廃棄し、立て直さなけければならない。
経済の“天候”をコントロールできないことは、1929年の世界恐慌と戦後ケインズ主義の失敗が証明している。せいぜいできるのは、市場が健全に成長できる経済の”気候”を重視することである。
②NPOが市民性の回復のカギ?
政府主導で社会問題を解決することは、やはり難しい。ほとんどの場合、成果をあげられない。事実、アメリカ政府が実行しようとしたプログラムは、成果を一つも出せなかった。
一方で、アメリカのNPOはめざましい成果を出している。アルコール中毒、ドラッグ中毒、マイノリティ人種の母子家庭の経済支援、医療系NPOの啓蒙活動など……NPOは政府が担おうとした仕事の一部を背負うことができる。
NPOは、意義ある市民性の回復の核でもある。今日メガステイトが市民性を圧殺しつつある。この市民性を回復するには、企業という民間セクターと政府という公共セクターの二つのセクターに加え、第三のセクターが必要になる。それが社会セクターである。
(『ポスト資本主義社会』p. 217)
第Ⅲ部:知識
“教養人たれ!”とドラッカーは喝破する。この章では、ポスト資本主義社会の中核である「知識」についてあらためて取り上げ、知識社会の中心を担う人間について論じている。
①学校は知識に対して責任を負う
いまや学校は、基礎教育として物事を教えるだけでは、知識社会に貢献できなくなった。知識をどう使うか、その方法を体系的に教え、継続学習を習慣化させる必要がでてきた。
何を教え、何を学ばせるか。いかにして教え、いかにして学ばせるか。学校の顧客とは誰か。社会における学校の役割はいかにあるべきか。これらの問いに対する答えのすべてが、今後数十年の間に劇的に変わっていく。学校ほど根本的な改革を迫られている機関はない。
(『ポスト資本主義社会』p. 264)
②知識社会の中心は「人」である
知識は通貨のような物的な存在ではない。知識は本やデータバンクやソフトウェアの中にはない。そこにあるのは情報にすぎない。知識は人の中にある。人が教え学ぶものである。人が正しく、あるいは間違って使うものである。それゆえに知識社会への移行とは、人が中心になることにほかならない。
(『ポスト資本主義社会』p. 265)
ここでドラッカーは、知識社会は「教養ある人間」に新しい課題を突きつけるといった。かつて古き良き教養人は、ただ知識をもつだけで尊敬された。ある種、お飾りとしての知識・教養だった。
しかし今日において、「教養ある人間」の意味は変わる。変わっていかなければならない。なぜか? 現代が知識社会に他ならないからである。これからは、教養ある人間が社会のシンボルとなり、基準となっていかなければならない。
われわれが必要とする教養ある人間は、他の偉大な文化や芸術を理解する者である。中国、日本、朝鮮の絵画や陶磁器、東洋の哲学や宗教、そして宗教および文化としてのイスラムを理解する。同時に、人文主義者の教養課程に特有の書物偏重主義を超越する。教養ある人間は、分析的な能力だけでなく、経験的な知覚の能力をもつ。
(『ポスト資本主義社会』p. 270)
幅広い専門知識に精通した博学は必要ない。だが、この知識社会において個々人が専門化していくからこそ、多様な専門知識を理解し受容する能力が不可欠である。そのような能力をもつ者が、ドラッカーのいう「教養ある人間」なのだった。
さいごに:『ポスト資本主義社会』は明日のために何をすべきかを示唆してくれる
『ポスト資本主義社会』は歴史的背景の理解が要求される
ドラッカーは歴史、経済、文化を横断的に論じ、幅広い視野で社会を語る。まさに彼自身が誰よりも教養人であった。
この記事を書いている筆者は、かつて大学院では経済学を学んでいた身だが、『ポスト資本主義社会』におけるドラッカーの経済学に対する理解は、実に本質を突いているし、経済学史の造詣も深く、脱帽させられた。
そんなわけで、実は『ポスト資本主義社会』は、かなりの教養レベルが要求される書物である。これは疑いようもない。マルクス主義、社会主義、ソ連の政治体制、世界恐慌、ケインズ主義、冷戦体制……少なくとも19世紀末から20世紀末の歴史・経済の背景がなければ、「序章」の時点で挫折してしまう恐れがある。
この記事を読んでおけば事前知識がなくても楽しめる
しかし心配は無用である。この記事では、『ポスト資本主義社会』における歴史的な背景・説明を徹底的に排除して、本質的な部分のみを抽出し、コンパクトに要約している。
この記事を読めば、ひとまず「ドラッカーが何が言いたかったのか」「この本の何が面白いのか」を、一応は理解していただけるようになっている(はず)。
歴史的教養が深まるので持っていて損はない
では、この記事さえ読んでおけば、『ポスト資本主義社会』を手元に置いておかなくていいのだろうか。
どう思うかは自由だが、少なくとも筆者としては、『ポスト資本主義社会』は「ドラッカーを通じて20世紀の歴史を紐解ける教養本」だと考えている。
灘高校の有名な教材『銀の匙』のように、本書に登場する用語や人物、思想について調べていくと、点と点が結びつき、やがて20世紀という激動の時代が、一本の線となってクリアに見えてくるはずである。
「何かを成し遂げたい人」が読むと必ず忘れられない一冊になる
つまるところ、『ポスト資本主義社会』は誰に読んでほしいのか。それは、ビジネス・経営・政治・教育・非営利活動といった様々な場面で成果を出したいと思う人、全員である。
ドラッカーの著作は、世の中に解決すべき問題を見、考え、行動しようとする全ての人に訴えかけるエネルギーがある。そのエネルギーの源泉は、歴史なのだろう。ドラッカーはただただ、歴史(過去)から多くのことを学んだ。ドラッカーの言葉力、文章の隅々に行き渡った息遣いは、すなわち歴史の重さに他ならない。
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