この連載は「ドラッカーを変えた7つの経験」(『プロフェッショナルの条件』から)をベースにしています。誰でも人生を変えるような経験をしているものです。自らのそのような経験に焦点を合わせ、充実した人生を送るために、ドラッカー教授の人生も参考にしましょう。
「私の人生を変えた7つの経験」もいよいよ最終回です。
他の6つの経験が10代から20代に経験したことですが、今回の経験は私が40歳の時のものです。
この話の主人公について少し長めに紹介しておきます。
目次
秀才シュンペーターとの長い縁
その主の名は、J.A.シュンペーター(1883年2月8日~1950年1月8日)。
生年月日と没年月日を書いたのは、この経験が終末期の病床で起こったからです。シュンペーターは、オーストリア=ハンガリー帝国に生まれます。つまり私と同じです。
シュンペーターとの親交は、私の父アドルフを通じてのものです。
オーストリアの官僚だった父は、大学で経済学を教えており、1902年に19歳の秀才シュンペーターと出会いました。その後、彼はわが家で開かれていたサロンに参加していました。多いときには、週に2,3回開かれていたサロンには、ハイエク、ミーゼスなどの経済学者や後のチェコの初代大統領マサリクなども顔を出していました。
父アドルフは、シュンペーターなどの若手経済学者を登用するとともに、雑誌などへの寄稿を勧めるなどして実践と理論の経験を積む機会を与えていました。シュンペーターは、秀作『経済発展の理論』(1912)を29歳の若さで出版しました。私はまだ3歳にもなっていませんでしたが、のちの私の著作、『イノベーションと企業家精神』(1985)に大きな影響を与えました。
シュンペーターは、1932年にハーバード大学の教授として移住し、一方、私の渡米のあと父アドルフもアメリカに渡り(1936)、二人の交流は続きました。
1949年、私はニューヨーク大学で教授に就任し、大学院でマネジメントを教えていました。その年のクリスマスのことです。75歳になる父がカリフォルニアから東海岸にやってきました。
年が明けた1950年1月3日、父と私は、病床にあるシュンペーターを訪問しました。それは、66歳になったシュンペーターがハーバード大学を退官する年でした。世界的に有名な経済学者となっており、アメリカ経済学会の会長として活躍していました。
40歳で得た最後の教訓「何によって憶えられたいか」
最後の教訓は、父アドルフとシュンペーターの会話から得たものです。私はそのとき40歳になっていました。
会話の一部を紹介します。
A:自分が何によって憶えられたい か、今でも考えることはあるかね。
S:その問いはいまでも、私にとって大切だ。でも、昔とは考えが変わった。
今は一人でも多くの優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として憶えられたいと思っている
この問いには、伏線がありました。若かりし頃のシュンペーターの「昔の考え」は、「ヨーロッパ一の美人を愛人にもつヨーロッパ一の馬術家として、そして世界一の経済学者として憶えられたい」だったからです。怪訝な顔をするアドルフを尻目に、シュンペーターはこう続けました。
S:アドルフ、私も本や理論で名を残すことだけでは満足できない歳になった。人を変えることができなかったら、何も変えたことにはならないから。
傍らで見ていた私は気づきました。憶えられたいことは年齢を経るとともに変わっていかなければならないことを。そして、真に憶えられるに値することは、人を変えることであると学んだのです。記録ではなく、人々の記憶の中に残ることであると。
私は、この会話から三つ教訓を得ました。
一.人は、何によって人に知られたいかを自問しなければならないということ。
二.その問いに対する答えは、歳をとるにつれて変わっていかなければならないということ、つまり、成長に伴って変わっていかなければならないのこと
三.本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人に変えることであるということ
シュンペーターは、その5日後に亡くなります。貴重な教訓は、こうしてドラッカー教授の心に生涯遺ることになりました。
人生100年時代の学び
私の人生を変えた7つの経験はこれで終わりです。私がこの書簡を書いたとき、すでに86歳になっていました。つまり最後の教訓を40歳で得て後、さらに40年以上生きたことを意味します。その間、ドラッカー教授はこれらの教訓を忘れてことはありません。なぜなら常に実践の対象となっていたからです。
人生100年時代の今こそ、ドラッカー教授の経験に学ぶところが多いのではないでしょうか。「これらのことを紹介したのは、簡単な理由からである。それは、私が知っている人のうち、長い人生において、ずっと成果をあげてきた人のすべてが、私と同じようなことを、どこかで学んでいるからである」。
※この文章は、筆者(佐藤等)がドラッカー教授の著作『プロフェッショナルの条件』などを基に主語を「私」に変え、事実や表現を追加してドラッカー教授が伝えたかった趣旨を変えることなく慎重に再現した文章です。内容に誤りなどがあれば是非ご指摘ください。また『プロフェッショナルの条件』の該当箇所はぜひお読みください。
ドラッカー教授の生涯に深く刻み込まれた経験は、のちの著作活動にも色濃く反映されています
私が一三歳のとき、宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。(中略)今日でも私は、いつもこの問い、「何によって憶えられたいか」を自らに問いかけている。これは、自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかしなりうる人間として見るよう仕向けてくれる問いである。『非営利組織の経営』
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