2006年3月のWBCは一つのチームの勝ちについて考える大きなキッカケになっていました(その2)。
「『チームとして、ひとつになっていきたい』と、これほど強く思ったことはありませんでした」―2006年3月WBC準決勝でこの大会2度負けている韓国戦後の発言
「野球人生で最大の屈辱を味わって、最低の酒を飲んで…でも、最後に、最高の酒をのむことができました」―激闘の末手にしたフラッグ、2006年WBCの優勝後の会見での発言
イチローの中でも変化が起こっていました。
WBC時のベンチ内でのこれまでにない感情表現について聞かれて答えています―「WBCでのあたらしい挑戦は、チームの中心になるということでした」
しかし、マリナーズに戻ると相変わらずチームは低迷―2006年も3年連続の最下位。一方、イチローは渡米以来6シーズン連続の200本安打、連続オールスター選出を果たします。
常につきまとう問い―個人が大切かチームか大切か。
そんな中、2007年シーズン中の7月オールスター戦前にFA権を行使することなく、早々にマリナーズと5年間の9000万ドルで契約延長を決めました。
残留の決断の理由を語るイチロー。
「『これからもシアトルでプレイして欲しい』地元ファンの声が、ぼくにはいちばん重かった」
ファンのために残ったイチロー。
しかしこの後、おそらく野球人生で最もつらい5年間を過ごすことになるのです。
孤高の闘い―孤独の極み
個人の成績は頂点を極める—2007年のオールスターでは、伝説のランニング・ホームランでMVP獲得。その後もイチローの快進撃は2010年まで続きます。10シーズン連続200本安打、打率3割、ゴールデングラブ、オールスター出場。
一方、チームは長期低迷。2007年こそ2位でしたが最下位が定位置(2009年のみ3位)。
低迷するチームの中で記録更新を続けたイチロー。
チーム内からまたもあの声があがる。
「記録のためだけにプレイしている」
気がつけばイチローは、マリナーズで一番の古株であり、チームの顔になっていました。チームのリーダーを期待する周囲。看板選手であるイチローがチーム低迷の元凶であるかのような声が上がり始めます。顕在化しつつある期待ギャップ。
相変わらず試合前に一人黙々と入念な準備に取り組むイチローの姿をプロ意識の高さでなく、リーダーシップの欠如と誤解されます。長打が少なく、四球が少なく出塁率は高くない…絶えることのない批判。
そんな中、2008年9月、地元紙『シアトル・タイムズ』に目を疑うような記事が掲載されます。
「『イチロー襲撃計画』が未遂に終わった」―「信じられないほど多くのチームメイトが彼を嫌っている」との報道がされます。
深まる孤独感…
このような報道はファンの反感を買い沈静化するも、思いもよらない他責論に潜む如何ともしがたいチーム状態に失望を深めていったことでしょう。
そんな中での10年連続200本安打の達成。
鳴りやまないトロントのファンからの拍手。
一塁上でヘルメットを取って顔のやや上に控えめに挙げ声援に応えるイチローがいました。偉業達成にもチーム状態を慮り感情を抑えているように見えるのは気のせいでしょうか。
こうして2010年シーズンは終わっていきます。
新天地へ―新たな闘い
36歳で迎えた2011年シーズン、ついにそのときがやってきました。連続200本安打、打率3割、オールスター出場、ゴールデングラブが途切れたのです。
さらに2012年も3割に満たない打率が続く中、マリナーズ・ファンが悲鳴を上げる大事件が起きます。7月23日に電撃的に常勝チーム、ニューヨーク・ヤンキースに志願してトレードで移籍。
移籍会見で訴えるようにその理由を語っています。
「11年半、ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを、自分がマリナーズのユニフォームを脱ぐと想像したとき、大変寂しい思いになったし、今回の決断は大変難しいものだった。オールスター・ブレイクの間に自分なりに考えて出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではないのではないか。また、僕自身環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた」。
「結果的には一番勝ってないチームから、一番勝っているチームに行くということになるので、テンションの上げ方をどうしようかなと思います。どうか仲良くして下さい」とこの移籍に関して個人とチームの関係について言及。個人の感情を抑えながら過ごしたマリナーズでの後半を考えればこその言葉です。
移籍の年の2012年、ヤンキースは地区優勝。178安打と200安打には届かないものの、オフスーズンで単年度契約を基本とするヤンキースにあって2年契約を獲得。中心選手として評された証です。
2013年シーズンの8月21日、日米通算4000安打を達成。米国メディアは「偉業」と伝えつつもあくまで「参考記録」扱いの空気が支配する中、達成の瞬間、ファンはスタンディングオベーションで偉業を称え、チームメイトはベンチを飛び出し祝福、一塁上のイチローと抱擁を交わしました。
試合後の会見の冒頭の問い―日米通算4000本安打はどんな意味をもちますか?
この問いに次のように答えたイチロー。
「チームメイトやファンがあんなに喜んでくれるとは思ってもいませんでした。驚きです。僕以外の人々にその瞬間をつくってもらえたことに感動した瞬間です」
移籍前の状況から変わりつつある環境、そして心境。
この「感動の瞬間」は、引退会見の次の言葉、「特別な瞬間」につながっています。
――ずっと応援してくれたファンの存在は?
「ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像してなかったですけど、実際にそれが起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけども、なかなか日本のファンの方の熱量というのは普段感じることが難しいんですね。でも久しぶりにこうやって東京ドームに来て、ゲームは基本的には静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として日本の方というのは表現することが苦手というか、そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。内側に持っている熱い思いが確実にそこにあるというのと、それを表現したときの迫力というものはとても今まで想像できなかったことです。ですから、これは最も特別な瞬間になりますけど。ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきたんですね。その点でファンの存在なくしては自分のエネルギーは全く生まれないと言ってもいいと思います」
このあとイチローは「え、おかしなこと言ってます、僕。大丈夫です?」と言い、会場の笑いを誘いました。それは、核心部分を語ったイチローの照れ隠しなのかもしれません。
孤独感から解放されつつあったニューヨーク時代。孤独感解消の要因は、ファンはもちろんチームメイトにも喜んでもらうことでした。イチローは大切な何かを見つけつつあったのです。
全盛期を過ぎ、ときに4番手の外野手として3シーズン過ごし、40歳になったイチローはマイアミ・マリーンズへと闘いの場所を移していきます。
何番目の石工だったのか
さて、イチローは何番目の石工だったのだろうか。この私の疑問へも次回で答えを出さなければなりません。(つづく)
ドラッカー教授のマネジメントの言葉
「人とともに働くということは人を育成することを意味する」『現代の経営<下>』
<参考図書>
『夢をつかむ イチロー262のメッセージ』ぴあ
『イチロー・インタヴューズ』文春新書
『野村のイチロー論』幻冬『野村のイチロー論』幻冬
『イチロー会見全文』GOMA BOOK’S
『イチロー戦記1992-2019』Nunber976
『イチロー引退惜別』週間ベースボール増刊号
『ICHIRO MLB全軌跡2001⁻2019』スラッガー5月号増刊
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