イチローの野球人生/名言から学ぶマネジメント―『現代の経営』に出てくる3人の石工の話―はたしてイチローは何番目の石工なのか(その5)

引退会見で記者から鋭い質問が飛ぶ(連載その1)

――前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーしている」と話していた。ヤンキース、マーリンズとプレーする役割が変わってきて、去年ああいう状態があって今年引退。その孤独感はずっと感じてプレーしていたのか。それとも前の孤独感とは違うものがあったのか。

「現在それ(孤独感)全くないです。今日の段階で、それは全くないです。それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て……外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときにそれに立ち向かっていく、そのことはすごく人として重要なことなのではないかなと感じています」

最後には孤独感はないと言い切るイチロー。それは孤独との闘いの終焉を意味していました。慎重に言葉を選ぶイチロー。最初の孤独感の原因を自分が「外国人になった」ことだと表現し、その後の言葉を封印しました。

個人かチームか―原体験?

ここにイチローを長く悩ませた「個人かチームか」という問題の原体験ともいうべき一場面があります。

2004年10月、最下位でシーズンも終わろうとしているホーム最終戦。消化試合とも言うべき3連戦にシーズン最多安打の記録達成(258本)をこの目で見ようと連日4万5千人以上が詰めかけました。その試合後語ったイチローの言葉が印象的です。

今シーズンを通して思うことは、プロとして勝だけが目的ではない。これだけ負けたチームにいながら、最終的にこんなにいい環境でプレーさせてもらえて、勝つことだけが目的の選手だったら不可能だと思うんですよね。プロとして何を見せなくてはいけないかということを忘れずにやらなくてはいけないということを、自分自身が自分自身に教えてくれた、そんな気がします」。

当時のイチローの視線のその先に常にあったのは、低迷チームでも球場に足を運んでくれるファンの存在です。「勝つことだけが目的ではない」、イチローはチーム状況が悪いときでも最高のパフォーマンスを見せようと職人の腕をあげるのに余念がありませんでした。しかし、この決意が彼を苦しめることになるとはこの時は思いも及ばなかったことでしょう。

この連載で書いたように万年最下位チームと評してもあながち嘘ではないチーム状況の中、大リーグ史上初の快挙をあげ続けるイチロー。対戦投手とともに孤独との闘いが繰り広げされました(連載その2) (連載その3)

ヤンキースからマーリンズへ―闘いの終焉

頂点を極めたのちヤンキースに行っても孤独は心は晴れませんでした。それは孤独感とは別物でした。1年目で成果を出すも次の2年契約の際には、監督とのコミュニケーションの問題からベンチを温め続ける機会が増えたイチロー。ファンにプレーを見せる機会が減るなかで達成した4000本安打。

「4000本を達成して、チームメイトが祝福してくれたので僕にとって忘れられない瞬間になると思うのです。ただ、記録を達成して拍手があってだけだと、僕の記憶に強く残ることはないと思います」2013.8.21日米通算4000本安打

チームメイトの祝福-それはイチローの感情が動くとき―誰かが喜んでくれているときイチローは特別の場面として記憶にとどめるのです(連載その4)

その後、マーリンズに移ったイチローはこのチームで孤独との闘いに決着をつけました。次の言葉に長い孤独との闘いの深さを感じさせます。

「同じユニフォームを着た人に、足を引っ張られないということは大きいですね。本当にいい仲間だと思います」(2016.6.16世界最多4257安打達成の会見で)

ともに喜ぶ人がいる幸せ、この体験は、変わることなく貫かれ引退会見冒頭のあの言葉に引き継がれていいます。

最後の日に語ったこと―すべての思いを込めた言葉

――決断に後悔や思い残したようなことは?

今日のあの、球場での出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。

冒頭の言葉は続きます。

もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと……人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います」

イチローが自己基準を置き歩いてきた19年間。打率ではなく安打数という自己基準を定め他人とではなく自分に挑戦してきたイチロー。自己基準を貫いた漢は引退の時を自ら決めるしかありません。

――イチロー選手の生きざまで、ファンの方に伝えられたことや、伝わっていたらうれしいなと思うことはあるか?

「生きざまというのは僕にはよくわからないですけど、生き方というふうに考えるならば……先ほどもお話しましたけども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど、でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。自分なりに重ねてきたことを、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね、それを見たときに、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。それは嬉しかったです。そうだとしたらすごく嬉しいし、そうじゃなくても嬉しいです、あれは」

自分の取り組みをもしかしたらファンが見ていてくれたのかもしれない。そうイチローは述べたのです。職人としての自己評価がお客様から評価されたとき、それは望外の喜びに変わるのです。それはチームの勝敗を超えたところにあったのです。それがイチローが現役最後の日に到達した境地なのではないでしょうか。

――現役生活に終止符を打つことを決めたタイミング、その理由は?

「今タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかねぇ。(中略)もともと日本でプレーする、今回東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定でもあったこということもあったんですけども、キャンプ終盤でも結果が出せずにそれを覆すことができなかった、ということですね」

50歳まで現役でプレーしたいと公言していたイチロー。しかし、日本のプロ野球への復帰は自己基準から外れていました。基準はファンに喜んでもらえるプレーにあったはずです。引退の決断に後悔はないかと問われ「今日のあの、球場での出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません」と答えたイチロー。

引退会見では、別の質問に次のように答えます。

「あんな風に(ファンが)球場に残ってくれて。まぁ、そうしないですけど、死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなと」

さらに問答は続きます。そこには個人の成績についての言及もあります。

――今思い返して最も印象に残っているシーンは?

「今日を除いてですよね? この後、時間が経ったら、今日のことが真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただそれを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきた……ですけど、そういうものはたいしたことではないというか、自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのはしなくてはいけないことでもあると思うんですけども、そのことにそれほど大きな意味はないというか。今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。その点で、例えば分かりやすい、10年200本続けてきたこととか、MVPをオールスターで獲ったとかは本当に小さなことに過ぎないというふうに思います」

 

「今日の瞬間を体験」と表現したイチロー。かつて次のような言葉を発したことがあります。

「ぼくは、ファンに見られているだけではありません。自分が、ファンを見ている、というイメージです」。

「死んでもいい」という言葉には、ファンとの共同体験の「最高の瞬間」を成就した気持ちが込められているのではないでしょうか。

イチローは第4の石工だった(文末の解説もぜひお読みください)

イチローは、チームの勝ち星という「教会」をつくる第3の石工でもなく、もちろん単に自分の腕のみを磨こうとするあの第2の石工でもありませんでした。

「教会」という地域の心の拠り所の実現を目的に打席に立ち続けていた第4の石工だったのです。

イチローが目指していたものそれは、ファンの喜ぶ姿そのものでした。私たちは、チームの勝ち星は手段にすぎないということを忘れがちです。ベースボールというエンタテイメントビジネスの目的は、顧客が喜ぶことであることを忘れたチームは長期に低迷しました。私たちは、この間違いを犯しがちです。「顧客にとっての価値は何か」を忘れたとき私たちの事業は迷走します。イチローの長い闘いから私が学んだものです。さて、イチローの引退会見に戻りましょう。

人間として成熟する前に現役を引退するということ

――イチローさんが愛を貫いてきた野球。その魅力とは?

「団体競技なんですけど、個人競技だというところですかね。野球が面白いところだと思います。チームが勝てばそれでいいかというと、全然そんなことないですよね。個人としても結果を残さないと生きていくことはできないですよね。本来はチームとして勝っていれば、チームとしてのクオリティが高いはずなので、それでいいんじゃないかという考えもできるかもしれないですけど、決してそうではない。その厳しさが面白いところかなと。面白いというか、魅力であることは間違いないですね。あと、同じ瞬間がないということ。必ず、必ずどの瞬間も違うということ。これは飽きがこないですよね」

イチローがいう「瞬間」とはファンとの価値の交流のとき。かつてノードストロームの経営で言われた「真実の瞬間」に近いものではないでしょうか。

上記の言葉のあとに続く引退会見の言葉です。

「今日のこの、あの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけど、去年5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないというような、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。そのことが……去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」

「ほんの少しだけの誇り」、それは自分の中で決して失われることのない何かを苦しい現役最後の年に手にしていたのです。

41歳で新天地マーリンズの一員に転身する際の次の言葉が思い起こされます。

「人間として成熟する前に、現役を退かなければならないのは、辛いことです。その過程のなかで40を超えて現役でいるのは、大事なことで、現役でいないとわからないことがたくさんあると思っています」

「新しい場所にいって新しいユニフォームを着てプレイすることに決まりましたが、これからも応援よろしくお願いします。とは、僕は絶対に言いません、応援していただけるような選手であるために、自分がやらなければならないことを続けること、ということを約束させていただき、それをメッセージとしてよろしいでしょうか(2015.1.27マーリンズ・入団会見)

応援される存在ではなく喜びという価値を提供できる存在でありたいとの宣言です。ピークを越えた自分に対する叱咤激励の言葉でもあるのでしょう。

――現役野球選手じゃない自分は嫌だとインタビューで言っていた。

「僕は嫌だって言わないと思うけどね。僕、野球選手じゃない僕を想像するの嫌だとたぶん言っていないと思いますよ」

次のステージへ―人生100年時代のハーフタイム

こう述べて会見を終えたイチローにマリナーズから早くも会長付特別補佐の肩書のままインストラクターへの就任要請が来ました。

翌日からトレーニングを開始したイチロー。「まだ動ける。何かを見せてほしいと言われれば、やりたい」と答え実演指導を続ける闘志を見せています。人生100年時代の折り返し地点、私たちを行動と言葉で鼓舞し続けてくれる人間として成熟したイチローに出会えることを確信しています。

(終)

何番目の石工だったのか

さて、イチローは何番目の石工だったのだろうかと問いかけながら連載を進めてきましたがこの話に対する誤解もありますので少し解説しておきたいと思います。

第一に、この話はドラッカー教授のオリジナルではありません。『現代の経営』(1954)に「マネジメントのセミナーでよく取り上げられる話に、何をしているのかを聞かれた3人の石工の話がある」とあります。その意味でこの話は不完全です。ドラッカー教授はこの点を指摘していませんが、今回第4の石工の話を補いました。

第二に、第4の石工の話は、『現代の経営』には出てきません。この話が出てくるのは拙著『実践するドラッカー[思考編]』の開設文章に出てきます。つまり第4の石工は私の創作です。理由は、この話は不完全だからです。つまり「教会は手段」に過ぎないということです。手段としての、すなわちモノとしての教会を作ることを意識して作業をしている石工と「教会の目的―この地域の心の拠り所を作っている」ことを理解して仕事をしている石工には違いがあるからです。

組織やチームのミッション(使命、目的、社会的役割)を理解して働くことの重要性をイチローの闘いをとおして考えさせられました。翻って私たちは組織のミッションを示しているだろうか、ミッションを欠くことで、あるいはミッションの理解を欠くことで、チーム内の優秀な人材を不毛な葛藤の中に置き去りにしていないだろうか。イチローの苦悩から多くのことを学ばせてもらいました。

ドラッカー教授のマネジメントの言葉

「自己開発とは、スキルを修得するだけでなく、人間として大きくなることである。おまけに、責任に焦点を合わせるとき、人は自らについてより大きな見方をするようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身につけてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である」『非経営組織の経営』

 

<参考図書>
『夢をつかむ イチロー262のメッセージ』ぴあ
『イチロー・インタヴューズ』文春新書
『野村のイチロー論』幻冬『野村のイチロー論』幻冬
『イチロー会見全文』GOMA BOOK’S
『イチロー戦記1992-2019』Nunber976
『イチロー引退惜別』週間ベースボール増刊号
『ICHIRO MLB全軌跡2001⁻2019』スラッガー5月号増刊

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<実践するマネジメント読書会®>創始者。『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズ5冊の著者。 ドラッカー学会理事。 マネジメント会計を提唱するアウル税理士法人代表/公認会計士・税理士。 ナレッジプラザ創設メンバーにして、ビジネス塾・塾長。 Dサポート㈱代表取締役会長。 ドラッカー教授の教えを広めるため、各地でドラッカーの著作を用いた読書会を開催している。 公認ファシリテーターの育成にも尽力し、全国に100名以上のファシリテーターを送り出した。 誰もが成果をあげながら生き生きと生きることができる世の中を実現するため、全国に読書会を設置するため活動中。 編著『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズは、20万部のベストセラー。他に日経BP社から『ドラッカーを読んだら会社が変わった』がある。 2019年12月『ドラッカー教授 組織づくりの原理原則』を出版。 雑誌『致知』に「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」連載投稿中

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